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口腔ケアでQOLを上げる。社員の情熱で厚労省を動かした、口腔内細菌カウンタ誕生の裏側

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    高齢者人口が急速に増加している日本。2040年までに日本人の3人に1人は高齢者となる見込みだ。高齢化にともない、肺炎が日本人の死因トップ3に入り、なかでも70歳以上の肺炎患者のうち70%以上が誤嚥性肺炎(※)によって命を落としている。

    そんななかパナソニックでは、口のなかにいる細菌数を測定する医療機器「口腔内細菌カウンタ NP-BCM01-A」の販売を2021年にスタート。この機器により、2~3日かかっていた誤嚥性肺炎のリスク検査を約1分で可能とした。今後は誤嚥性肺炎だけでなく、口内の細菌による病気の予防に大きな役割を担っていくだろう。

    この機器の企画を担当したのは、キッチン空間事業部の森川悠。これまで社内のビジネスコンテストに継続して応募したり、経済産業省の起業家育成プロジェクトでシリコンバレーに赴いたりと新規事業の立ち上げに関する経験を経て、医療領域への参入という初めてのことに挑んだ。未経験の分野で、機器の販売をどのように進めていったのだろうか。事業開発の背景や課題、困難など実現までのプロセスについて話を聞いた。

    ※細菌が唾液や食べ物などと一緒に誤って気道に入ってしまうことで発症する病気

    事業の企画・立ち上げを行なったキッチン空間事業部の森川悠氏 | Make New Magazine「未来の定番」をつくるために、パナソニックのリアルな姿を伝えるメディア

    約1分の測定で病気を予防。パナソニックの技術を活かした口腔内細菌カウンタ

    ――「口腔内細菌カウンタ NP-BCM01-A」(以下、口腔内細菌カウンタ)とは、どのような機器なのでしょうか。

    森川口腔内の細菌数を、約1分という短い時間で測定できる医療機器です。通常、細菌数はシャーレなどで菌を増殖させる「培養法」で測定するため、結果が出るまでに2〜3日の時間がかかります。しかし、この口腔内細菌カウンタは「DEPIM」という細菌検出技術を採用しているため短時間での測定が可能。医療機関や介護施設で、患者や利用者の口腔内の状態を気軽にチェックできるようになります。

    森川氏  | Make New Magazine「未来の定番」をつくるために、パナソニックのリアルな姿を伝えるメディア
    事業の企画・立ち上げを行なったキッチン空間事業部の森川悠

    ――なぜ、口腔内の細菌数を調べる必要があるのですか?

    森川口腔内の細菌が多い、つまり口のなかが汚いと、さまざまな病気につながってしまうからです。特に高齢者の誤嚥性肺炎による死亡は、口腔衛生の状態が関係するという論文も多数出ています。しかし、従来のやり方では時間がかかるため、予防のためだけに細菌数の測定をすることは現実的ではなかったんです。ですので、これまでの医療・介護の現場では、患者や利用者の口腔内の状態は目視でしか確認できない状態でした。

    この課題を解決するために、パナソニックで続けてきた、対象範囲にいる微生物の量を定めるための基礎研究の技術が活かせるのではないか。そう考え、医療機器として口腔内細菌カウンタを手がけることに決めたのです。

    口腔内細菌カウンタ | Make New Magazine「未来の定番」をつくるために、パナソニックのリアルな姿を伝えるメディア
    口腔内細菌カウンタ
    綿棒にて、舌中央部を擦過し検体を採取、本体の中央部分にあるケースに入れて計測する様子 | Make New Magazine「未来の定番」をつくるために、パナソニックのリアルな姿を伝えるメディア
    綿棒にて、舌中央部を擦過し検体を採取、本体の中央部分にあるケースに入れて計測する。検体に含まれた菌の数は7段階で表示される

    医療現場にどんな価値を提供できるか。綿密なコミュニケーションで保険の適用を実現

    ――口腔内細菌カウンタはパナソニックが手がけている消費者向けの家電製品と異なり、医療現場がマーケットとなります。そのためビジネスの進め方も異なってくると思いますが、ビジネスモデル構築で意識したポイントはありますか?

    森川医療現場で使う機器でビジネスをする場合、その機器が保険適用されるか否かが成功の分かれ目になります。保険適用されていないと、検査の負担は100%患者さまとなり、また医師は患者さまに検査意図を説明したうえで、同意を得てから検査をしなくてはいけません。保険適用されれば、患者さまが支払う費用も1〜3割負担になります。医師による詳細な説明や同意を得るプロセスもなくなり、検査のハードルが下がるため、機器導入の検討もしやすいんです。機器購入のハードルを下げ、広く世に普及させることで、少しでも誤嚥性肺炎で亡くなる方を減らすために、厚生労働省から保険適用の承認を得ることをまずは意識して動いていました。

    ――保険適用されるためには、具体的にどのような対応が必要だったのでしょうか。

    森川保険適用を受ける前の段階として、まず、厚労省の承認を受けて医療機器として販売する必要があります。ただ、ここで1つ問題がありました。厚労省が設けた医療機器のカテゴリ分類に、口腔内細菌カウンタに当てはまるものがなかったんです。

    口腔内細菌カウンタは使用しても人体へのリスクが低い機器なので、本来なら厚労省に届出をするだけで手続きが完了します。ただ、既定のカテゴリに当てはめられないとなると、ペースメーカーや人工心臓弁といった、機器に少しでも不備があると人命に直接影響をおよぼしてしまう「高度管理医療機器」と同様の、厳しい基準をクリアしなければいけなくなってしまうのです。

    いまのパナソニックは、医療機器に対する知識や経験、体制が十分とはいえません。そのなかで、高度管理医療機器と同じような審査基準を乗り越えていくのはかなり難しいと感じました。

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    ――その困難に、どのように対処したのでしょうか。

    森川パナソニックが申請を出す前に、口腔内カウンタに対応する新しいカテゴリを厚労省につくってもらうことにしたのです。もちろん、これも簡単なことではありません。

    ただ、医療や介護の現場では口腔ケアが重要であるという認識は強まっていますし、細菌数を迅速に測定できる機器へのニーズも高まっていました。また、歯科医の総合団体である日本歯科医師会は昨今、口腔ケアをしっかりと行なうことで、人々の健康維持やQOLにつなげる方針を示しています。

    そのような医療現場のニーズや歯科医師会の目指す社会像に対し、口腔内細菌カウンタがどのような価値を提供できるか。そこを強く意識してアプローチ方法を考え、厚労省や関連学会と何度もコミュニケーションを取り、慎重に進めていきました。

    その結果新しいカテゴリがつくられたのです。2021年4月の発売時には、無事に医療機器として販売することができました。その後学会からこの機器で実施可能な新しい検査、判定できる新しい病名を診療報酬改訂で提案いただき、保険適用されることができました。

    未経験の領域には入念に準備して挑む。医療現場の方との関係性構築で大切にしたこと

    ――さまざまなステイクホルダーを巻き込んで進められたのですね。医療機器の専門メーカーでないパナソニックが医師会や学会とコミュニケーションを取るのは大変だったのではないでしょうか。

    森川たしかに、ぼくは大学・大学院と理工系の専攻でしたし、新卒でパナソニックに入社してからは食洗機事業と新規事業に携わってきたため、医療に関する知見はまったくありませんでした。

    学会や医師会で先生方とコミュニケーションを取るにあたり、口腔医療の基礎知識をつけるべく事前準備を入念に行ないましたね。先生方が話していることをきちんと理解するために医学用語の知識をつけようと、歯科衛生士を目指す方向けのYouTubeを見たり、個人的に歯科の先生と仲良くなり、社外での活動を一緒にしていくなかで歯科の知識を教えてもらったりしていました。

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    ――学会や医師会と関係性を築くうえで、工夫したポイントはありますか?

    森川会社として以前から関係を築いていた先生方を大切にしながら、新しいつながりを得るためにとにかく行動することを重視していました。学会で知り合った先生に別の先生を紹介していただき、アポイントをとって直接ご挨拶にうかがうなど、数珠つながりでご縁を広げていきました。

    ――2021年の販売開始からまだあまり時間の経っていない製品ではありますが、医療機関で口腔内細菌カウンタが導入されたことで生まれた成果はありますか?

    森川口腔内細菌カウンタが生まれたことで、口腔内細菌の量と誤嚥性肺炎のリスクの関係性などの研究が進んでいます。口腔内を健康に保つための細菌数の基準もできました。これは私たちの開発・製造した機器が貢献したひとつの成果だと思っています。

    計測中に残り時間も表示される | Make New Magazine「未来の定番」をつくるために、パナソニックのリアルな姿を伝えるメディア
    計測中に残り時間も表示される

    パナソニックとして取り組む意義を示し、社内を巻き込む

    ――機器の企画から発売までに、どのくらいの期間がかかったのでしょうか。

    森川およそ4年の歳月がかかっていますね。通常の家電製品であれば、企画から2年ほどで発売にたどり着きますが、この事業は倍の時間を要しました。

    ――家電をつくるチームが医療機器を扱うためには、さまざまな壁があったのではと想像します。

    森川もともと家庭用の食洗機を医療機関向けに展開していたため、社内にもある程度の体制はありました。ですが、口腔内細菌カウンタは特定保守管理医療機器という特殊な医療機器に認定されていたため、製造販売を行なうにあたっては、さらに体制を整える必要があります。そのため、大きく2つの観点から社内調整を行ないました。

    1つ目が、社内規程の改定です。口腔内細菌カウンタは、唾液を採取するために滅菌された綿棒を使用します。しかし、これまでの規程では、過去に実績がないため滅菌製品を取り扱いできないことになっていて。そこで、滅菌綿棒を取り扱えるよう規程の変更を薬事に特化したリーガル部門に働きかけました。

    医療機器として登録されている滅菌綿棒と口腔内殺菌カウンタ | Make New Magazine「未来の定番」をつくるために、パナソニックのリアルな姿を伝えるメディア
    滅菌綿棒も医療機器として登録されている

    森川2つ目は、人材の確保です。口腔内細菌カウンタの販売には高度管理医療機器と同じ販売ライセンスが必要なため、高度管理医療機器を3年以上販売した経験を持つ人材がいないと、販売ライセンスの取得ができません。

    当時、社内にはその基準をクリアする人が1〜2名のみ。育成にも相応の時間がかかります。そのため、口腔内細菌カウンタが今後も続いていく事業であることを示し、人材育成まで見据えた組織づくりを行なえるよう社内で交渉・調整し、体制を構築していきました。

    ――社内を動かすうえで、鍵となったものは何だと思いますか?

    森川私自身が組織のビジョンを理解し、そこに向けた事業になるよう考えて行動することと、将来の可能性を社内に示すことの2つが鍵だったのではないでしょうか。パナソニックのような大きな組織を動かすとき、パッションだけで乗り切るのは難しい。しっかりと論理的なアプローチをとる必要があります。

    特に、口腔内細菌カウンタは始まったばかりの取り組みで、今後どうなるかわからない。事業部内でも温度差が生まれやすいんですね。この事業がビジネスとしてどの程度拡大する可能性があるのか、明るい未来を示しながらパナソニックとして取り組む意義を確認することは、各メンバーのモチベーションを高めるうえでも必要なことだと考えています。

    森川氏  | Make New Magazine「未来の定番」をつくるために、パナソニックのリアルな姿を伝えるメディア

    現場にどんな課題があるのか。理解し行動するからこそ、前に進める

    ――森川さんはこれまで、社内のビジネスコンテスや業省の起業家育成プロジェクトなどさまざまな挑戦をしてきたそうですね。口腔内細菌カウンタに取り組むなかで、これまでの経験が活きたと感じるポイントはありますか?

    森川現場の困りごとを肌で感じる重要性を学んだことは、大きく役立ったと思います。例えば、社内のビジネスコンテストでは聴覚が不自由になった高齢者とその家族のコミュニケーションを円滑化するツール「Famileel(ファミリール)」を提案し、選考を通過しました。これは身近にいた祖母と母とのやりとりがきっかけとなり生まれたものです。

    どこに、どのような課題があるのかを深く理解することは、事業開発にあたりとても重要だと思っています。だからこそ、今回の事業でも現場の方々と直接会って話し、現場にはどんな困りごとがあるのか理解することを重要視しました。

    ――現場の声を積極的に集めることは、意識しないとなかなか行動に移せないように思います。

    森川机上で考えるだけでなく、突破口が見えたらとにかく行動する力もこれまでの挑戦で培ってきたように思います。新しいビジネスをつくるためには、やはり既存事業の枠組みで考えていても限界があります。自分の知識や経験、思考の幅を広げるために行動することでこそ、前に進むことができる。今回の医療機器という新たな領域でも、この考え方は大きく役に立ちました。

    森川氏  | Make New Magazine「未来の定番」をつくるために、パナソニックのリアルな姿を伝えるメディア

    誰かの「気づいていない困りごと」を解決したい。仕事をするうえで大切にしている軸とは

    ――今回の事業で解決を目指す「口腔内ケアによる誤嚥性肺炎のリスク管理」という課題は、森川さんにとっては当事者として切実に感じている課題ではありませんよね。誰かの困りごとを理解して課題解決を目指す背景には、どのような考え方や原体験があるのでしょうか。

    森川そうですね......まず、自分のなかに深刻な困りごとがないという点はひとつの要素かもしれません。むしろ、誰かの「気づいていない困りごと」を解決したい気持ちが強い。

    森川氏  | Make New Magazine「未来の定番」をつくるために、パナソニックのリアルな姿を伝えるメディア

    森川じつは、大学に入学するまでは人とコミュニケーションを取ることが苦手なタイプだったんです。でも、大学入学後に一度友人関係で大失敗してしまったことをきっかけに、逆に苦手意識が薄れたんですよ。人間関係で失敗しても、死ぬわけじゃないんだな、と。

    それと同時に、自分では気づいていなかったけど、人とコミュニケーションをとることに苦手意識があったし、それがネックになっていたんだなと気づいたんですね。自分では気づけない課題の存在を意識したのはそのときかもしれません。

    就活のときにこれまでの自分を振り返り、その体験に気づいてから、世の中にはかつてのぼくのように、自分では気がついていない課題を抱えている人がたくさんいるように思いました。

    ――森川さんのように、「誰かの困りごとや課題」を自分ごと化するには、どのようなことが必要だと考えますか?

    森川2つの方法があると思います。1つ目が、自分に近しい人の抱える課題をとらえること。そして2つ目は、自分が仕事をするうえで大切にする軸が当てはまる課題を探すというやり方です。

    特に自分は、2つ目が重要だと思っています。例えば今回の事業は、「当事者が気づいていないような課題解決に取り組む」というぼく自身が大切にしている軸に当てはまっているんです。自分の体は、体調を崩すまでなかなか異変に気づけないですよね。健康を害してからその重要性を感じる人が多い。だからこそ、この事業に取り組む意義を自分ごととして深く感じることができました。

    現在、国の施策として、これまでの「治療」中心の医療から「予防」を軸とした医療へと大きく舵を切ろうとしています。口腔内細菌カウンタは、そういった予防医療の部分に貢献できる製品です。ゆくゆくは血圧計のように生活者に身近な製品として世の中に出していき、体調を把握するひとつの目安として口腔内細菌数を測定するようにしたい。そんな社会をつくれたら、より多くの方の「気づいていない課題」を解決できるのではないかと、構想しています。

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    Profile

    くらしアプライアンス社 キッチン空間事業部 森川 悠氏 | Make New Magazine「未来の定番」をつくるために、パナソニックのリアルな姿を伝えるメディア

    森川 悠(もりかわ・ゆう)

    パナソニック株式会社 ‎くらしアプライアンス社 キッチン空間事業部
    2015年入社。キッチン空間事業部に配属され、技術者として食洗機の設計開発に従事。2019年4月より事業企画へ異動し、口腔内細菌カウンタの事業立ち上げに従事。現在は商品企画にて、事業拡大に向けた取り組みを行っている。
    2017年には、社内ビジネスコンテストを通過し、2018年にSXSW(サウスバイサウスウェスト)に出展。その後、経済産業省主催の始動 Next Innovator2018へ応募・選出、シリコンバレー派遣メンバーに選抜される。

    私のMake New|Make New「ヘルスケア事業」
    今後、世の中に求められるのは予防に関する機器だと考えています。口腔内細菌カウンタに限らず、予防に関する機器を世に出していくことでパナソニックの中でヘルスケア事業を確立していきたい。

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