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共働きで子どもを持たない夫婦(DINKs)や単身世帯が増加している日本。家事に専念する人は少なくなり、人々のくらしや食事のスタイルも変化してきているなかで、「米を研ぎ、炊飯器に入れ、ごはんを炊く」という体験には長年大きな変化がなかったといえる。このような市場環境のなかでパナソニックは、お米と水を自動で計量し炊飯する、無洗米専用の「自動計量IH炊飯器 SR-AX1」を開発した。
この炊飯器は、炊き上がりの時刻などをスマートフォンから設定することで外出先からでも遠隔操作でごはんを炊くことができ、帰宅してすぐに炊きたてのおいしいごはんが食べられるという、いままでにない体験を可能にしている。2022年11月に開始された先行体験プログラム「Future Star Program」の募集では、200台限定のところ約1万件の申し込みがあり、大きな注目を集めた。
「おいしさ」だけでなく、「便利さ」も追求したこの新たな炊飯器は、一体どのように誕生したのだろうか。自動計量IH炊飯器の開発の裏側を、プロジェクトメンバー4名に聞いた。
忙しい人でも簡単にご飯を炊けないか? ユーザーの生活スタイルから生み出した炊飯器
――自動計量IH炊飯器は、どのような点に着目し開発するに至ったのでしょうか。
冨江まずは日本の社会背景・世帯構成に着目しました。いま、1世帯あたりの人数は年々減少しています。そして、DINKsと呼ばれる共働きで子どもを持たない夫婦や単身世帯が増加傾向にあることから、彼らの生活スタイルに注目しました。
冨江DINKsや単身世帯の方々は、食事よりも仕事を優先させてしまう傾向があります。例えば、忙しいのでごはんはまとめて炊いて冷凍しておき、レンジで温めて食べるとか、炊飯自体にかける時間を捻出できなくてパックごはんで済ませるといったスタイルです。しかし本音を聞いてみると、例えば冷凍ごはんは少しベチャついてあまり好きではないものの、忙しいからおいしさを犠牲にしてしまう、本当は炊きたての温かいごはんが食べたい、といった想いがあったんです。
そもそもごはんを炊くって、結構プロセスが多くて面倒な作業ともいえるんですよ。お米を素手で研ぐから衛生面にも気を使わなければいけないし、手も濡れる。普段、私自身も炊飯することがありますが、炊きあがる時間から逆算して予約炊飯をセットするとなると、炊飯の予定に合わせて行動しなければいけない。そうした、生活者の方がまだ気がついていないけれど、じつは存在する日常の「困りごと」を解決したいと考えました。
ごはんが簡単、効率的に炊けて、さらにおいしく食べられる。それを実現するためには「便利さ」という土俵でアプローチが必要だと考えたんです。
吉田今回商品化ができた背景には、食生活の変化や技術の進歩も深く関わっています。まず、お米を研ぐ必要のない無洗米が忙しい世帯にとって身近なものになっていること。お米の購入における無洗米の割合が3割を占めるというデータもあります。さらにスマートフォンやIoTの普及も相まって、家電を遠隔操作する技術的なハードルも下がっている。そうした状況があったからこそ実現できたのだと思います。
――「おいしさ」を重視してつくられている商品が多いなかで、いまの社会やくらしの変化をもとにアプローチした炊飯器は斬新だと思います。
冨江そうですね。パナソニックとして、他社と「おいしさ」だけで競っていては生活者の方へのお役立ちができないのではないかと考えました。
自動化を取り入れている家電は、洗濯機・食洗機・ロボット掃除機などがありますが、炊飯器ではまだ例がありません。「ごはんを炊く準備をするときにはキッチンにいなくてはいけない」という常識から、自動かつ遠隔でどこにいても炊飯ができる、というかたちに変える。そのために、自動計量と遠隔操作を技術的なキーポイントにしています。
大村自動計量炊飯器の構想は、じつは40年前からありました。以前は無洗米の流通があまり一般的でなかったことや、遠隔操作のハードルも高かったことからなかなか実現にはいたりませんでした。失敗や挫折もありましたが、いままで蓄積してきた先輩たちの技術が、この商品に活かされています。さらに、企画や技術、デザインが団結し、試行錯誤を重ねたからこそ、この自動計量IH炊飯器が実現できたと思っています。
「調理道具」らしさを消して、家の空間に馴染むデザインに
――自動計量IH炊飯器は、2021年の夏頃から企画・開発がスタートし、2022年11月にプレスリリースが発表となっています。実際のお届け(2023年4月末)まで約2年という企画・開発期間は、かなり短いように感じます。それだけ苦労も多かったのではないでしょうか。
吉田そうですね(笑)。調理機器のデザインを考える際には「食事をする器」、「調理道具」、そして電子レンジや冷蔵庫など「空間に馴染む商品」と3つの括りに分けることができます。この商品の場合、どのような存在が適切なのかデザイナーとして最初に悩んだ点ですね。
いままでの炊飯器は鍋や釜といった「調理道具」としてデザインされていましたが、今回は米びつも兼ねた存在となりますから、キッチンに出しっぱなしになっていても違和感がない「空間に馴染む商品」としての姿を追求しました。そのため、デザインは水平・垂直にこだわっています。
従来の炊飯器のように本体の下部がすぼまるようなフォルムだと、「調理道具」らしくなってしまいます。そうならないために垂直フォルムを提案しましたが、製造視点で考えるとチャレンジするところが沢山あり、設計部門に苦労をかけてしまいましたね。
――水平・垂直にするため、具体的にはどのような部分に苦労しましたか。
大村垂直、水平のデザインを実現するために、部品をつくるために使う金型を複雑な構成でつくる必要がありました。
一般的に、成型した部品を抜き出すとき、上下方向に金型を動かせば取り出せるよう部品の形状に傾斜やふくらみを持たせることが多いんです。一方で垂直、水平の形状は上下方向だけでは抜くことができないんですね。そこを解決するため、今回の商品では、上下左右前後と6方向に動かせるような構成の金型を使った成型に挑戦しました。目指すデザインを実現するため、サプライヤーと特に綿密に話し合いを行なった部分です。
大村外観にもこだわりがあります部品の合わせめをどれだけきれいに見せるか、そうした細かな部分までつくり込んでいきましたね。
吉田部品の分割線があればあるほど視覚的なノイズになってしまうので、部品の分割も最小限にしています。コーヒーメーカーなど同じような構造の製品と見比べていただけたら、部品分割線がいかに少ないかがわかると思います。
炊きたてのおいしさを味わってほしいから、保温機能は削除した
――炊飯器の機能についても教えてください。2合炊きというのは従来と比べて少ないと感じましたが、あえてそのようにした理由は何でしょうか。
冨江小世帯にターゲットを絞り込んだため、ユーザー1食あたりのお米の消費量に合わせて2合炊きに決めました。そのおかげで、商品自体も大きくなりすぎず、機能も必要最低限にしぼることができました。
一番の特徴としては、保温機能を無くしたことです。この製品の特徴は、遠隔操作により、食べ切れる量のごはんを食べたいときに、炊きたての状態で提供できること。そのため、保温機能は不要と判断したのです。
――食べきりサイズにして、さらに保温機能をなくしたというのは、商品として非常に潔いですね。
吉田機能を割り切ることで「炊きたてを食べてほしい」という意思がハッキリしたと思います。炊飯の仕方を、お米や水が自動で計量される「自動計量炊飯」のみに割り切ったという部分でも私たちの意思が強く出ているのではないでしょうか。
冨江この商品は、スイッチを入れると指示した量に合わせて自動的にお米と水が投入され、炊飯がはじまります。この自動計量炊飯だけにするか、ユーザーが自分でお米を計量し、手で注水する一般的な炊飯機能も残すか否かというのは最後まで悩んだポイントでしたね。特にこの商品は新規要素技術(自動計量 / 投入)が搭載されており、故障や不具合が発生するリスクがあります。関連部門からは、そうしたリスクを考えて「手動による炊飯機能も必要ではないのか」という意見を何度もいただきました。
しかし、そうした機能を付加してしまうと、いま市場で売られている炊飯器と大差ないものになってしまう。「便利さ」を追求する商品という軸をぶらさないよう、極力シンプルなものにしたい。その想いを強くもち、サンプルを準備して触れてもらう機会を増やしながら関連部門と調整し、最終的にいまの商品仕様・外観に仕上がりました。
――常識にとらわれない商品づくりができた要因は何だったのでしょうか?
吉田「ワイガヤ」だと思います。誰か一人がリーダーシップをもって意思決定したというより、企画や技術、デザインなどさまざまな部門の担当者が集まりワイワイガヤガヤと話し合うなかで、「それはこうすればいいんじゃない?」「こんな方法も取れるんじゃない?」と新しいアイデアを出し合うことで、この商品がつくられていったと思います。
大村今回のプロジェクトは外観と性能にかなりこだわっていて、約10数名の技術者が関わっています。スピード感を持って開発するためにも、生産工場のある中国に長期出張を行ない現地メンバーとコミュニケーションを取り、量産の立ち上げを進めました。日本で設計した炊飯器を中国の工場で生産するというのは初めてでもありとても大変でしたが、やはり、対面でやり取りできたのはメリットが大きかったですね。
スマートフォンによる初めての炊飯体験。実現の鍵はスピーディーなやりとりと早めの対策
――スマートフォンから遠隔操作で炊飯を完了できるという点も、この商品の大きな特徴だと思います。実現するなかで大変だったことについてお聞かせください。
冨江「炊きたてを食べる」という考えのもと、予約設定をスマートフォンへ集約したり、いままで炊飯器本体に持たせていた機能を削ぎ落としたり、どの機能が必要か、不要かの判断は、非常に難しかったですね。
――遠隔操作ができる初めての炊飯器ということで、ソフトウェアの開発も苦労が多かったのではないでしょうか。
高開発のハードルは、かなり高かったですね。今回の商品はIoT機器になるので、ITセキュリティの強化を行ないました。そのためには電子機器を制御するための新しいマイコン(マイクロコントローラ)が必要で、そこから開発していく必要があったのです。
私の部門では実装する機能を実現させるための本体のソフトウェア制御を担い、さまざまな部門と連携しながら推進していきました。マイコン開発はマイコン基本機能構築を得意とする社内のシステムテクノロジー開発センターに協力を依頼、アプリ開発は滋賀県にあるDX(デジタルトランスフォーメーション)の技術部門に。ひとつの炊飯器を開発するにしては、比較的多数の部門と連携が必要なケースでした。定期的にUI検討会なども開催し、各部門の意見をヒアリングし、最終の仕様を詰めていきました。
――さまざまな開発部門と連携したなかで、印象に残っていることはありますか。
高私は本体機器の制御設計を担当していたのですが、短期間でどのように開発していくかを検討・実行したことが印象に残っています。開発、部材、製造などの面でコストパフォーマンスが高い設計を行うことに長けている中国拠点の技術者の経験も活かしながら、スピード感をもって開発することに取り組みました。また、私は中国語も日本語も話せるため、その語学力を活かして日本と中国それぞれの技術スタッフの橋渡しも行ないました。このことも、従来の炊飯器の開発ではあまりなかったので印象に残りましたね。
また、ハード部分ではコロナ禍の影響もあり電子部品の調達が難しいことが予想できたので、商品の検討段階から部品の選定を行ない、必要なものは中国の調達部門・サプライヤーに先手で依頼。部品を早めに確保してもらうようにしていたので、スムーズに開発を進めることができましたね。
「努力は間違っていなかった」。限定200台に対して、約1万件の申し込み
――今回は先行体験プログラム「Future Star Program」で、お客さまにまず試してもらうという販売手法を採用しています。このような手法を採り入れた背景を教えてください。
冨江自動計量IH炊飯器は新たな生活スタイルに合わせて企画された商品なので、ターゲット設定やプロモーションなど、マーケティングのあり方もそれに沿ったものにしたいと考えました。その取り組みの一環として、先行体験プログラムという販売方法を採用しました。
2022年11月に販売を告知したところ、限定200台に対して約1万件の申し込みがあり、とても大きな反響をいただきました。簡単にいつでも炊きたてを楽しみたいお客さまが多くいることが、この反響によってあらためて理解できましたね。
実際にお申し込みいただいた方々のデータを分析すると、ターゲットとしていたDINKs層が多くいらっしゃいました。さらにデータを読み込むと、「お米と水の計量・投入から炊飯までおまかせ」「帰宅時間に合わせて外から炊飯」「おひつ釜でそのまま食卓で炊きたてを」という3つのポイントが9割前後の高い支持を受けているということもわかりました。この商品でお客さまの炊飯習慣を変えることができるという、大きな手応えを感じています。
大村いままでに無い種類の炊飯器でしたので、製品仕様の正解は誰もわかりません。そうした状況のなかで、お客さまに対して何がベストかを開発メンバーと一緒に試行錯誤しながら進めました。その結果これだけの反響があり、「努力は間違っていなかった」と涙が出るくらい嬉しいです。
――最後に、今回のプロジェクトに関わった感想を聞かせてください。
吉田長年当社に勤めていますが、初期の構想段階から企画やデザイン、設計がここまで同じ方向を向いて進んだプロジェクトは初めてでしたね。同じような成功体験を、ぜひ若手社員にも積んでほしいと願っています。
大村今回の商品に携わり、さまざまな経験を積めたことで、「当たり前」を変える難しさを実感しました。また、既存のことにとらわれていてはダメだと、再認識することができました。
高勇気を出して新しいことにチャレンジするには、決断することが大事だと実感しました。できること、できないことをしっかりと判断する。そうした物事の取捨選択が、効率につながることを学びました。この経験をこれからいかしていきたいですね。
冨江まずは多くの方々に、「炊飯が楽にできる」という価値を体感してもらいたいです。この商品を皮切りに、自動計量=パナソニックというイメージをつけて、いままでの「おいしさ」だけでなく「便利さ」という軸で、戦う土俵を広げていきたいと考えています。
Profile
冨江 真弘(とみえ・まさひろ)
パナソニック株式会社 くらしアプライアンス社 キッチン空間事業部 調理機器BU 商品企画部
2007年に入社。制御回路設計として炊飯器/IHクッキングヒーターを中心にインバータ開発に従事。2019年11月より調理機器BU 商品企画部に在籍。フラグシップモデルの国内炊飯器をはじめ、自動計量IH炊飯器などを手がけている。
私のMake New|Make New「Challenge!!」
強い想いを持って、新しい事に挑戦できるような商品を企画していきたいです。
吉田 尚史(よしだ・ひさし)
パナソニック株式会社 くらしアプライアンス社 くらしプロダクトイノベーション本部 デザインセンター AD3部
1991年に入社。プロダクトデザイナーとして調理家電を中心にプロダクトデザイン開発に従事。1991年4月より電化本部デザインセンターに在籍。炊飯器・調理小物をはじめ、エアコンや掃除機などを担当し、現在は電子レンジなども手がけている。
私のMake New|Make New「いつもの」
日常生活の新しい「いつもの」に選んでいただけるような、お客様の生活の一つになる商品開発をこれからも進めていきたいと思います。
大村 拓匡(おおむら・たくまさ)
パナソニック株式会社 くらしアプライアンス社 キッチン空間事業部 調理機器BU 調理器技術部
2022年に入社。機構設計として家電製品を中心に商品開発に従事。2022年6月より調理器技術部 炊飯器設計課に在籍。AX1をはじめ、自動計量IH炊飯器などを手がけている。
私のMake New|Make New「新たな生活+」
これからも既存にとらわれず、お客様の新しい生活のお役に立てられるような商品開発を行っていきたいと思います。技術者はそれが出来ると信じています。
高 雅菲(こう・がひ)
パナソニック株式会社 くらしアプライアンス社 キッチン空間事業部 調理機器BU 調理器技術部
2016年に入社。制御設計として家電製品を中心に商品開発に従事。2016年4月より調理器技術部 制御ハード設計課に在籍。国内外向けIH炊飯器の回路設計をはじめ、自動計量IH炊飯器などを手がけている。
私のMake New|Make New「好奇心を煽る」
従来の家電製品の固定観念を覆し、「こんな家電もあるのか!」とお客様の好奇心を煽れる家電製品を作りたいです。