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スタジアムでの試合観戦は、躍動するアスリートの姿や目の前で起こるプレーの迫力、ファンの熱狂など、スポーツの醍醐味を味わえる体験。一方で、テレビ中継のような実況・解説がないため、初めて訪れる人にとってはルールや試合の流れがわかりづらく、いまひとつ入り込めない部分もあるのではないだろうか。そこで開発されたのが、スタジアムで聴ける音声配信サービス「CHEERPHONE(チアホン)」。
「CHEERPHONE」は、自身のスマートフォンからチームのOB・OGや現役選手の生解説を視聴でき、試合を観戦しながらリアルタイムでプレーや選手についての理解を深められるサービス。そして、そんな選手やチームの魅力を知ることは、自分の「推し」を見つけるきっかけにも繋がるという。「スポーツをより楽しみたい」というひとりの社員の想いから始まったこのプロジェクトは、本格的なサービス開始からすでに2年が経過。現在は、スポーツ観戦における課題だけでなく、スポーツビジネスの課題にも目を向け、さまざまな人を巻込みながら成長している。個人の想いをビジネスにつなげるまでの試行錯誤の日々について、プロジェクトを進めるメンバーに話を聞いた。
スポーツ観戦の楽しさとファンエンゲージを高めるライブメディア
――CHEERPHONE(以下、チアホン)とは、具体的にどのようなサービスなのでしょうか?
持田野球、サッカー、ラグビーなど、さまざまなスポーツの試合をスタジアムやアリーナなどで生観戦しながら、リアルタイムで実況や解説などの音声配信を聴くことができるサービスです。
――テレビ実況とは違う、チアホンならではの特徴はありますか?
持田テレビのスポーツ中継の解説や実況は中立性が求められますが、チアホンはチームに導入するので、そのチームが好きなようにコンテンツを配信できる点です。片方のチームを応援する配信もできます。導入したチームのなかにはチームのOB・OGの方だけでなく、怪我で療養中の現役選手などがゲストとして登場することもあります。これもチアホンならではだと思います。現役選手ならではの視点で、ひとつひとつのプレーに込められた意味を解説したり、まさにいま出場していた選手が交代したタイミングでインタビューを受けるということもあります。
木村普通のスポーツ中継では聞けない裏話的なエピソードも聞くことができるのも大きな特徴ですね。というのも、選手のプレーや行動には意味があることが多い。例えば、ある選手がゴールを入れた瞬間に手でハートマークを作ったとします。それは、実は病と戦っているファンの子どものために、ゴールを決めることを約束していたからだったりするんです。そういった背景を知れば、もっと選手のことが好きになるはずです。
木村もちろん、ルールが難しいラグビーなどの試合では、初めて見る人にもわかるように目の前で起こったことを解説してくれたりします。私たちは「耳で観るともっと面白い」とよく表現するのですが、見るだけでなく聴くことで楽しむというこれまでなかった会場でのスポーツ観戦体験を提供することで、コアなファンだけでなくライト層の方も楽しめるのがチアホンの音声配信の特徴です。
2024年4月6日におこなわれた、埼玉ワイルドナイツ対三菱重工相模原ダイアナボアーズの試合で配信されたワイルドナイツラジオ(チアホンによる音声配信)の一部音声
――どのようなスポーツでチアホンが聴けるのでしょうか?
木村現在、最も多く採用いただいているのがラグビーです。埼玉パナソニックワイルドナイツさんや同じジャパンラグビー リーグワンの静岡ブルーレヴズさん、東京サントリーサンゴリアスさんなどでシーズンでご契約をいただいています。ほかにも、プロ野球やJリーグ、フィギュアスケート、ゴルフ、自転車のロードレースなど、さまざまな競技でご利用いただいている状況です。
「スタジアムでも実況が聴きたい」個人の想いがアイデアの起点に
――この事業が生まれたきっかけを教えてください。スポーツ観戦における、どんな課題感がアイデアの起点になっているのでしょうか?
持田課題感というよりは、私個人の想いが起点になっています。私はスポーツをスタジアムで観戦することが多く、スポーツ好きとして「こういうサービスがあったらいいな」という、漠然としたアイデアの輪郭がありました。
そんなとき、当時社内で行なわれていたハッカソン(※1)に参加したんです。このときのテーマが「自分自身のウェルビーイング」。つまり、自分が好きなものを起点にアイデアを出すという趣旨でした。そこでチアホンの原型となるコンセプトを出したのが始まりです。ちなみに、木村はそこに運営の立場で入っていて、起案の時点から一緒に事業を練り上げてきました。
※1 エンジニアやデザイナーらが集まり、短期間で集中的にソフトウエア開発などを進めるイベント。ハック(hack)とマラソン(marathon)を合わせた造語
――木村さんもスポーツ観戦がお好きだったのですか?
木村じつは、もともとスポーツには疎くて......。そういう意味ではチアホンの視聴者ターゲットの一つであるライト層に近い立場ですね。
――ではなぜ、持田さんと一緒にチアホンをやっていこうと思われたのでしょうか?
木村私はどちらかというと、新規事業の企画やビジネスの戦略を考えることに関心がありました。本業はデザイナーですが、いつか新しく事業を立ち上げてスケールさせる仕事をやってみたいと思っていたんです。そんななか、2019年に立ち上がった技術部門の研究開発組織でチアホンを推進していくことが決まり、私もブレインとして伴走することになりました。新しいことに挑戦できる機会はとてもありがたいなと思いましたね。
また、もともとスポーツを見ない側の人間だったからこそ、気づけることもあります。スタジアムに初めて足を運ぶようなライト層の気持ちがわかりますし、逆に持田はスポーツ好きの気持ちが分かる。一緒にサービスをつくっていくうえで、とても良いバランスだと思います。
持田木村は「それじゃ私は使わへんよ」と直球で意見をぶつけてくるので、たまに言い合いになります(笑)。でも、それだけ二人ともこの事業にかける想いが強く、だからこそ前向きな議論ができて、サービスをよりよい方向へ向かわせることができているのかなと思いますね。
各々の得意領域はありますが、基本的には明確な担当分けはなくチーム全員で全てのことをやっています。誰がリーダーということもなく、互いに意見をぶつけ合いながらサービスを運営しています。
やってみないとわからない。アップデートを続けるチアホンの姿勢
――サービスをかたちにするにあたって、最も苦労したのはどんなことですか?
持田起点は「好き」や「やりたい」という個人的な想いでしたが、じゃあ、これをどうビジネスとしてどうやって成り立たせるか?という部分は苦労しました。どこからお金をもらうのか、ビジネスとしてどうスケールさせていくのかというところで試行錯誤を繰り返し、幾度かのピボットも経てきました。正直、いまもまだまだ模索中です。
また、当初は社内外からも「スタジアムで音声配信を聴く需要があるのか?」と懐疑的に見られているところもありました。ただ、それはやってみないとわからない。だからまずはとにかくやってみようと。
――実際、最初に配信したときの利用者の反応はいかがでしたか?
持田初めてチアホンのサービスを実施したのは女子プロサッカーの試合でした。チアホンをご利用いただいた観客の方へのアンケートでは、「サービスに満足した」「次も使いたい」などの項目で想定していた以上の高い評価をいただくことができたんです。2回目はJリーグ「ガンバ大阪」のホームゲームで、このときは1人2,000円の有償配信と決して安くない価格だったにも関わらずほぼ完売で、市場にはっきりとした受容性があると確認することができました。
木村その後もアンケートはとり続けていますが、どの競技で実施しても常に満足度が高く、チアホンの体験価値自体は実証されています。シーズンで利用いただく事業者とはサービスによる顧客の再来場率も計測し、成果がでています。こうした結果を受けて、ファンエンゲージを高めるための施策として採用していただけるチームも増えてきました。
正直、実施前は私たちもスタジアムで音声配信を聴きたい方がどの程度いるのか、未知数のところがありました。サービスとして成り立つのか、懐疑的な見方をされることもあっただけに、最初からプロの試合で実施できたこと、そして利用者の方から良い評価が得られたことは大きかったですね。このアプローチが間違っていないという確信を持てたので、あとはこの延長線上でサービスをアップデートさせていこうと考えることができました。
木村とはいえ、やはりパナソニックにとっても新しいビジネスになるので、なかなかスムーズには進まないこともあります。なので周囲にサポートを求めることが多々ありますが、そんなときに「こういうことってできますか?」ではなく、「こういうことをやりたいんですけど、そのためにはどうしたら良いですか?」という姿勢で、積極的にまわりを巻き込んでいくことが大切なのかなと思います。
――実際にこの2年間ビジネスとして継続できている理由はなんですか?
木村私たちは観客の方だけでなく、クライアントであるスポーツ事業者にもヒアリングを繰り返し、3〜4か月ごとにアップデートを重ねています。たとえば、視聴者が配信者に対して「いいね」やメッセージでインタラクションできる機能を設け、ファンエンゲージの向上をはかれるようにしたり、事業者が結果を確認できるような管理機能を充実させたりしています。顧客ごとにUIデザインを変更できる機能によってマーケティング動線や広告媒体としての活用も進んでいます。
お客さまの声をスピーディーに反映できているサービスは、パナソニックのなかでも珍しいかもしれません。そこがクライアントや視聴者の方の満足度につながり、2年間続けてこられたのだと思います。
持田あとは、限られた予算のなかで工夫してきたことも、結果的に継続につながっているかもしれません。たとえば、チアホンには専用のアプリや特別なデバイスはありませんが、じつは、開発当初ハードウェアやアプリをつくるほどの予算がなかったという背景もあったんです。
そこで、いまのような形態にしていった結果、アプリをインストールする必要がなくQRコードを読み込むだけで聴ける手軽さが、利用のハードルを下げ視聴者の獲得につながったと思います。また、ハードウェアがないからこそ、スピーディーなアップデートを実現できた面もあるのではないかと。
――今後に向けて、具体的にどんなビジネスモデルを検討していますか?
持田いま、さまざまなアプローチを試しています。まずはシーズン契約で使っていただけるスポーツ事業者やチームを増やすため、導入効果をしっかりと証明することが最重要だと思っています。
また、現在はスポーツ事業者さん向けのBtoBのビジネスモデルが基本ですが、これからチアホンの市場が拡大・成熟していけばエンドユーザー、つまり観客の方から利用料をいただくことも考えられます。ほかにも、企業に音声配信というコンテンツのスポンサーになってもらうなど、本当にいろいろなパターンがある。競技やチームのカルチャーなどによっても最適な方法は異なると思いますので、いまは一つのビジネスモデルにこだわらずに可能性を探っている状態ですね。
また、国内だけだとどうしても市場が小さいので、海外のさまざまなスポーツに展開していくことも検討中です。
チアホンが「推し選手」を見つけるきっかけに
――スポーツ事業者やチームからすれば、チアホンの音声配信によってファンのチームに対する愛着がより強まり、「ファンエンゲージメント」を強化するためのきっかけにもなるかもしれません。
木村ファンエンゲージを高めていくことは、私たちの狙いの一つです。熱心なファンでも、毎試合スタジアムに足を運ぶという人はそう多くありません。現地でしか聴けない魅力的な音声配信を提供することで来場回数を上げ、チーム愛をより深めていただけるのではないかと思います。
また、ビギナーの観客にとっては、最初に訪れたスタジアムでの体験が、その後リピーターになるかどうかの大きな分かれ目になります。たとえば、音声配信で選手の思いやエピソードに触れることで、その選手のことを好きになったり、共感するポイントが見つかったり、チームに対する愛着が沸いたりすれば、もう一度来てみたいと思ってくれるかもしれません。私自身も、いち観客としてスタジアムでチアホンを聴いてみたときに、やはり選手のことを応援したい気持ちが芽生えましたし、そのきっかけづくりはすごく大切なのかなと思います。
――チアホンが「推し選手」を見つけるきっかけになるかもしれないですね。
持田私はスポーツって「推し活」そのものだと思っているんです。そのチームやスポーツを好きになるきっかけって、やはり一人の選手やチームの姿勢だったりすることが多いので。最近は「推し活」の可能性や重要性に気づいているスポーツ事業者さんも増えていて、うまく新しい層を取り込んでいます。ただ、競技やチームによっては、まだまだそこにアプローチできていないケースも多い。スポーツ事業者の方には、チームや選手の「推し活」を支援するツールとして、チアホンをどんどん使ってもらいたいですね。
チアホンというメディアを拡大し、スポーツ観戦のインフラにしたい
――最後に、チアホンの今後の展望を教えてください。
木村これまでパナソニックはスタジアムの照明や映像機器、音響機器などのハードウェアでスポーツに携わってきました。これからはそれに加え、チアホンのようなソフトのサービスもどんどん提供していきたいと考えています。
また、音声配信だけでなく、たとえばチアホンとその土地の名物グルメをセットで販売したり、チアホン利用者の方には試合後の周辺観光ガイドもセットで提供したりするなど、さまざまなアプローチも考えられます。そうやって、スタジアムのなかから外へ広がっていくようなビジネスにも進化させられるのではないでしょうか。
――持田さんはいかがですか?
持田この事業を2年間やってきて思うのは、僕らは新しい「メディア」をつくっているんだなということです。チアホンはスタジアムやアリーナで聴く、いままでにないメディアになり得る。ただ、現時点ではまだまだ規模が小さい。
本当にメディアとして成立させるには、一つひとつの音声配信にスポンサーがつき、広告料でもマネタイズができるようにすべきだと思っています。そうすればテレビのように、どのスタジアムでも誰でも無料で使えるようになるはずです。そうやって、チアホンをスポーツ観戦における「あたり前」のインフラにしていきたい。そうなるとチアホンをきっかけにパナソニックのスポーツビジネスの拡大にも貢献できると思います。チアホンの単体事業だけではなく、パナソニックのスポーツビジネスとのシナジーも生み出していきたいですね。
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Profile
持田 登尚雄(もちだ・としお)
パナソニック株式会社 エレクトリックワークス社 マーケティング本部 スポーツビジネス推進部
日本オラクル株式会社を経て2003年入社。システムエンジニアや広報・宣伝、インハウスのデザインコンサルなどを経て、2020年より新規事業としてスポーツの観戦体験向上を目指す音声配信サービス「CHEERPHONE(チアホン)」の開発や普及に従事。2023年9月より現職に在籍。CHEERPHONEサービスのプロジェクトリーディングを担当している。
私のMake New|Make New「FUTURE」
未来を想像することは楽しいが、未来を創造することはもっと楽しい。CHEERPHONEも「新しい未来のあたり前」として文化を普及させていきたい。
木村 文香(きむら・あやか)
パナソニック株式会社 デザイン本部 トランスフォーメーションデザインセンター スペースコミュニケーション部
入社後、物流、調達、経理職能の多様な経験を経て、2017年11月にデザイン本部に在籍。未来インサイトリサーチ、プロジェクトの立ち上げ(Aug Lab、Well-Being研究会等)、事業開発、顧客接点構築(海外展博、ショールーム)などを手がけている。
私のMake New|Make New「鼓動」
人の心の琴線に触れる、パナソニックの新しい出会いと感動を通して、世界の見え方、感じ方、くらしの豊かさを変えていきたい。