12の未来像を起点に、さまざまな対話を通して「今」を捉え直すシリーズ「Make New Moment」。
第3回は、12の未来像のひとつ「『明日を生きたい』が溢れる場所」で取り上げた「避難所」にフォーカスする。今回対談にお迎えしたのは、避難所での子ども支援をはじめ被災地の復興支援に取り組む認定NPO法人カタリバ 代表理事の今村久美(いまむら・くみ)氏。今夏、2040年のありたい社会の姿を描き、「技術未来ビジョン」を掲げたパナソニック ホールディングス株式会社(以下、PHD)技術部門 執行役員でグループCTOの小川立夫(おがわ・たつお)と共に、現状の避難所や被災地の課題と、思いやりが「めぐる」避難所の実現について語り合った。
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災害を乗り越えて得た学びが「社会を強くする」
カタリバは、2024年1月1日に発災した令和6年能登半島地震に対して1月4日から現地入りし、被災した子どものための支援活動を開始。その後も継続して被災地支援を行っている。取材当日も能登半島で活動中だったため、対談はオンラインでの実施となった。
小川今日は避難所において、人のくらしのために役立つ技術のあり方を考えるという観点からお話を伺いたいと思っております。よろしくお願いします。
今村さんには事前に、今回の対談テーマでもある未来像「『明日を生きたい』が溢れる場所」について資料をご覧いただきました。
小川まずは率直な感想をお伺いできますか?
今村はい。これまでパナソニックさんとは使用しているパソコンぐらいしか接点がなかったので、災害時の避難生活の理想的なあり方を構想されていたとは思いもよりませんでした。
過疎地域における復興というのは、実はセンシティブな問題をはらんでいます。危険かつ不便なところに住み続ける住民に疑問を投げかける声もあり、ドライな目線を向けている国民も少なくないと感じます。
ですが、どんな環境下であろうと、生きがいを持てるくらしを実現していきたいと願い、居住地を選択する権利を誰しもが持っています。ただ資源は限られていて制約条件もある中で、「『明日を生きたい』が溢れる場所」として示されている未来像の中にたくさんのヒントがあるような気がして、とても励まされ、期待感を持ちました。
小川ありがとうございます。私自身は避難所生活をした経験はないんですが、1995年の阪神・淡路大震災発生時は兵庫県尼崎市に住んでいました。やはり非常時には、子どもやお年寄りなど社会的・体力的に弱い人々にしわ寄せがいってしまうと感じたので、今村さんが現地でどのような活動をされているのか、実情を知りたいという思いで今日の場に臨んでいます。
小川現状の課題意識をふまえ、まずはカタリバの活動内容について教えていただけますか?
今村カタリバは、「対話的な学びの場づくりによって人の可能性はひろげられる」という信念のもと、子どもの教育支援を目的にはじめた団体です。家庭や学校、住んでいる地域などの環境的なハンディキャップやさまざまな精神的葛藤を抱えている子どもたちの受け皿となる場所づくりと、日本の学校教育のシステムチェンジを志して、2001年に友人の三箇山優花(みかやま・ゆか)とふたりで設立しました。
今村私が初めて被災地を経験したのはカタリバを立ち上げて10年後の2011年、東日本大震災の時です。復旧活動の最中、粉塵が舞う中に身を置かざるを得ない子どもたちを目の当たりにし、まずは「子どもたちが安心して安全にいられる場所」を作りたいと、被災地支援の活動も始めました。
実は今取材に同席しているカタリバの広報担当は、東日本大震災の被災地に駆けつけた時に出会った地元の高校生でした。それから縁が続いているわけですが、被災地支援活動の中で、私たち自身も社会も少しずつ強くなっている。苦しさの中で見出した屈しない心、明日へ向かう力を次の世代につないでいくことが重要なんです。
人がつながり、自然に助け合う「災害ユートピア」
小川災害により人々や社会が傷つくという負の面だけを捉えるのではなく、「社会を強くしていこう」という意志を持って活動されているその姿勢に感心します。
阪神・淡路大震災の時は、震度6地帯だった尼崎市も大きな被害を受けました。電力供給は途絶えなかったのですが、まだ幼い子どもを抱えながら、数カ月、水とガスの供給が途絶えた中でくらすのは大変でした。
親戚からお風呂を沸かすために電熱器を送ってもらえないかと要望をもらい、自ら当時の電熱器事業部に掛け合ったのですが、感電の危険性もありますからとお断りせざるを得なかった......。無力感を抱きました。子どもたちのみならず、大人たちもそういう心の揺れの中でなんとか踏ん張るしかない局面に立たされざるを得ません。
一方で、「災害ユートピア」※という概念がありますよね? 当時は、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬とHEATWAVEの山口洋というアーティストが震災後の情景から「満月の夕」という曲を作り、避難所を巡って歌で励ます活動をしておられて、そのような状況下でも、人がつながっていく手応えを感じることもあったんです。やはり人間には、信じるに足る潜在的な底力があるのかもしれないと励まされながら、あの時期を乗り越えたことを思い出します。
※アメリカの著作家、レベッカ・ソルニットが提唱した「大規模な災害により、被災者や関係者の連帯感、助け合いの精神などが一時的に高まり、理想的なコミュニティが自然発生的に生まれる」という概念
今村おっしゃるとおりです。過酷な状況下では、もちろん衝突や葛藤が起きます。でも、結束力も強まるんです。
今村災害での支援活動は、平時のルールを適応していても改善が難しく、熱意のある人が、被災地に集まる物的・人的両面のリソースを駆使しながら、とにかく先頭に立って動くに尽きるということだと思うんです。
可視化した未来像が、アクションの後押しに
小川避難所のような緊急時の状況下では、責任を取るリスクも恐れず采配を振る、ある種の覇気も必要なのではないかと想像します。今村さんは、現場でどのように動かれているのでしょう?
今村おっしゃる通りだと思います。能登半島地震では、まず能登半島先端の石川県・珠洲市(すずし)に入りました。避難所指定はされていないものの、実質避難所になっていた公立高校の校長先生が受け入れてくださり、そこに場を構えました。
そこで私たちが最初に呼びかけたのは、寒い中、人が密集した空間に閉じ込められ大きなストレスにさらされる子どもたちのために、走り回れるスペースを確保してほしいということでした。幼い子どもや特性のある子どもは、走り回るなど十分な遊びの機会がないと、夜眠れなくなったり、二次障害が発生したり、心身に影響を及ぼす可能性があるからです。子どもの心身のケアのためにも、子どもが子どもらしくいられて、日中自由に過ごせる場所を早急につくる必要がありました。
体育館は半壊していたのですが、音楽室をご提供いただき、校内放送で主に学生の方に整備のお手伝いを呼びかけました。その結果、世代を問わずさまざまな方々が集まってくださって、無事に「子ども部屋」を立ち上げることができたんです。
1人ひとりの力は小さくても、アクションをはじめることで「災害ユートピア」は実現します。呼びかける最初の人がいる、そしてそれを応援する人たちがみんなでできることを持ち寄る。まずはそこが重要なんです。
小川なるほど。その場で旗を振る人がいれば、一つひとつの小さな解決が大きな状況改善を導いてくれる。逆に言うと平時にも、小さな勇気を持って立ち上がり、周囲と連帯することで、課題を突破していく勢いを生み出せるんじゃないか。そんな気づきにもなります。
そのリーダーシップをテクノロジーや制度・政策などでどう支えられるかなんですね。
今村ですから、「『明日を生きたい』が溢れる場所」で描かれた避難所のあり方は、草の根的に立ち上がる個人のリーダーシップを支える意味合いで、ものすごく役に立つような気がしています。避難所の未来を可視化することで、実現への道筋を思い描ける感度の高い方が行政に掛け合うなど、ワンアクションを起こせるかもしれないと。リーダーとなり得る人たちにとっては、大きな手がかりや困難な状況を打破するための強力なツールになるのではないかと思います。
小川平時でも、会社や学校など多くの状況下でスタック状態は発生していますよね。「こうしたほうがいいのに」と多くの人が感じていても、誰も声を上げられず、リスクを恐れるあまり、ついつい自分の領域の確保に甘んじてしまう。
災害の中に身を置かれることは決して幸せなことではありませんが、緊急時に人と分かち合ったりお互いの役に立ち合ったりした経験が、平時に戻っても活かせるような仕組みを作れればいいのですが。
21世紀に挑戦すべき、新たな「水道哲学」とは?
今村私も、緊急時、平時問わず、一人ひとりの小さな行動が大きな力になると考えています。小川さんが率いておられる技術部門でも「技術未来ビジョン」という構想を作成されたとお伺いしました。どのような展望なのでしょう?
小川関心を持っていただきありがとうございます。
まさに今日のお話に通じるのですが、「共助」という考え方をキーワードに、私たちPHD 技術部門が目指す2040年の社会のありたい姿を「一人ひとりの選択が自然に思いやりへとつながる社会」とし、その実現に向けた研究開発の方向性を示す「技術未来ビジョン」を策定しました。その柱となるのが、「エネルギー・資源が"めぐる"」「生きがいが"めぐる"」「思いやりが"めぐる"」という3つのテーマです。
小川元々の課題意識として、世の中が健やかに機能するためには、水を含めた食料問題と併せエネルギー資源の問題、また自分自身というミクロな視点から、家族、友人、同僚などの身近な人々、さらには自然との関係性まで、ウェルビーイングの文脈によるコミュニケーションの問題にアプローチしなければならないと考えていました。
振り返ると、パナソニックの創業者の松下幸之助は、1930年代に当時の日本の貧困を撲滅することを目標に、良質な物資を水道の水のようにあまねく人々に安価に届けようとする「水道哲学」という経営理念を掲げました。その目的は高度成長期を経て、21世紀の日本においてはほぼ達成されたように思われます。
小川大量生産、大量消費の時代を経た現在、求められているのはサスティナビリティの文脈における刷新された「水道哲学」です。
では私たちが21世紀に挑戦するべき新しい「水道哲学」とは何か。そう考え、自然エネルギーをはじめ、「思いやり」「生きがい」があまねく社会をめぐる、というイメージを描きました。
今村「エネルギー・資源が"めぐる"」イメージはなんとなく想像できますが、「生きがいが"めぐる"」や「思いやりが"めぐる"」とは具体的にどのような社会なのでしょう?
小川端的にご説明すると、一人ひとりが我慢をしたり、制限されたりすることなく、各々の自由な選択の結果、人々の間に寛容な関係性が築かれ、社会が緩やかにつながっているというイメージです。「災害ユートピア」発生時の状況にも通じるような、あくまで自発的な思いやる心、誰かの役に立ちたいという想いが利他的なめぐりを生み、社会が活性化されていくことを理想としています。
思いやりが「めぐる」避難所をつくるには
今村被災地支援を想定すると、どのような問いや向き合い方が考えられますか?
小川そうですね。発災直後というより復興に向かっていく時期にあたりますが、通信やAIの技術を用いて、避難所でくらす方々の不安や健康状態を把握することができるかもしれません。心の中の本音を人に話すことが難しい場合、AIロボットなどに打ち明け、そのデータを可視化することで、実際に軋轢が起こる前によりよい解決策を探ってみるなどの可能性も考えられますね。
小川逆に今村さんから、現場から見た際のアイデアはございますか?
今村支援物資が行き渡らないなど、そのようなトラブルは被災地のそこかしこで頻繁に発生しています。
輸送状況などをテクノロジーの力でより詳細に可視化できるようになれば、被災地側から可能な場所まで受け取りに向かうなど、今までにない解決策を模索できると思うんです。緊急時は、どこに何がどれだけあるか、誰がリソースを持っているのかを可視化することが非常に重要になります。
つまり、リソースを持った人たちと、リソースを必要としている人たちのマッチングをいかに最適に行えるか、ということなんです。
小川なるほど、支援物資の最適かつ公平な配給などには功を奏しそうですね。他に今村さんが一番切実に感じられていることはありますか?
今村つい先日、被災した珠洲市のある地域で、海女をしている30代の女性と出会ったんですね。海女の世界も後継者問題を抱えていて、若い世代になかなか担い手がいないんですが、彼女がつぶやいていたのが、「お金でも物資でもなく、仲間が欲しい」という切実な一言でした。
海女という仕事の次の世代を担っていこうとしている彼女は、ある意味たった一人のリーダーです。被災し過疎化の進む地方にも、年代問わず、まだまだ十分な能力と気概を持った人はいます。そういう人たちを地域外の人を含めてテクノロジーの力でシームレスにつなぎ、身近に「仲間がいる」と感じさせるような支援ツールができればいいなと思いました。
小川人と人をつなぐことこそ、テクノロジーが実現すべきことですね。
今村被災者の方々は、えてして支援されるだけの存在として扱われがちなんですが、決してそうではありません。ご高齢の方から若い方まで年代問わず、窮地に立たされていても「自分たちにはまだまだできることがある」という不屈の活力、エネルギーを持った方がたくさんいらっしゃるんです。
ですから、そういった熱意を持った皆さんのリソースを可視化し、それぞれが有意義に感じられる時間の使い方の選択肢を増やすことで、避難所でのその人らしさ、生きがいを支えることができるのかもしれません。「技術未来ビジョン」には「生きがいが"めぐる"」というテーマもありましたが、リーダーシップを取ろうとする人も含め、そういった方々を支える技術の活用領域で、ぜひともパナソニックさんに頑張っていただきたいと期待しております。
小川技術畑の人間は技術にこだわりがあるので、技術優先で物事を考えがちなんですが、「人を活かす」ことを柱にする大切さを今日はあらためて考えさせられました。「リソースの可視化」「リーダーを支えるための強力なサポートツール」「人々に役割を与え、存在意義を感じられるためのマッチングの仕組みづくり」「シームレスなつながりと仲間を生む、コミュニケーションツール」など、多くのヒントをいただきましたので肝に銘じたいと思っております。
「技術未来ビジョン」のコンセプトと重なる部分も感じられ、おおいに勇気をもらいました。人々の生きる力を支えるための技術開発に、今後もなお一層取り組んでいきたいと思います。
Information
技術未来ビジョン
日々の生活に必要なグリーンなエネルギーや生きがい・思いやりがあまねくめぐる社会の仕組みへ。こうした2040年の未来社会のありたい姿とそこに至る道筋を示したもの、それが、パナソニック ホールディングス 技術部門が描く「技術未来ビジョン」です。
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VISION UX
「自分、大切な人、地球を思いやる行動が広がっていく世界」を目指し、新たな事業機会を探索するため、10年後のありたい姿を描くプロジェクトです。
街の再建、避難所、共助コミュニティ、夜の街、最期の迎え方など、未来に向けたアクションを議論するための、具体的なシーンを紹介しています。
Profile
小川 立夫(おがわ・たつお)
パナソニック ホールディングス株式会社 執行役員 グループCTO
1964年、兵庫県生まれ。1989年大阪大学理学部卒業後、松下電子部品株式会社に入社。電子部品研究所、本社研究所にて、デバイス・材料の開発に従事。米国ジョージア工科大学に研究員として留学し、先端実装技術開発を経験。デバイス事業分野の企画・研究開発部門長、技術戦略スタッフ部門長、生産技術本部長等を経て、2018年執行役員 生産革新担当に就任。2019年オートモーティブ社副社長 製造担当・車載システムズ事業部長、2021年よりパナソニックグループのCTOに就任。
今村 久美(いまむら・くみ)
認定NPO法人カタリバ 代表理事
2001年に認定NPO法人カタリバを設立し、高校生のためのキャリア学習プログラムの提供を開始。2011年の東日本大震災以降は子どもたちに学びの場と居場所を提供、コロナ禍以降は、経済的事情を抱える家庭に対するオンライン学習支援やメタバースを活用した不登校支援を開始するなど、社会の変化に応じてさまざまな教育活動に取り組む。文部科学省中央教育審議会委員。こども家庭庁こどもの居場所部会委員。東京都学校外での子供の多様な学びに関する有識者会議委員。東京大学経営協議会学外委員。石川県令和6年能登半島地震復旧・復興アドバイザリーボード委員。