1918年の創業依頼、くらしに寄り添う身近な製品をつくり続けてきたパナソニック。近年では、高齢者や障がいのある方、性的マイノリティの方、外国にルーツがある方など、既存の製品ではニーズが見過ごされてきた方たちと企画の構想段階から対話を重ね、一緒に解決策を見つけだす「インクルーシブデザイン」の手法に取り組んでいます。
インクルーシブデザインから生まれた製品の一つが、3Dプリンターで出力し、既製の家電の操作部に両面テープで貼り付けるアタッチメントチップ。凹凸のある記号を指先で触ることで、視覚に頼らずに操作部を識別することができます。
社内外からさまざまな視点を持ち寄ることで実現したアタッチメントチップの開発。デザイン、製品安全、法務といった異なる立場からプロジェクトに関わった3名の社員が鼎談し、各々の立場でどのように開発のハードルを乗り越えていったのか、そしてパナソニックにおけるこれからのインクルーシブなものづくりについて語りました。
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くらしに根ざした、パナソニックのインクルーシブデザイン
使う人に喜ばれる製品開発を目指して、創業当初から多岐にわたる取り組みを行ってきたパナソニック。社会とくらしの変化の中で、見落とされていた困りごとや課題を拾い上げ、より多くの方が「使える」だけでなく「使いたい」と思える商品をつくっていくために、近年はインクルーシブデザインの取り組みを進めています。
これまでユニバーサルデザインにおいて重要視してきた身体的課題に加え、インクルーシブデザインでは、精神的障壁がある方、あらゆる年齢や言語、セクシュアリティなどのバックグラウンドを持つ方がくらしの中で直面している課題を、多様な技術、柔軟な手段で解決することを目指しています。
創業者である松下幸之助の意思を受け継ぎ、「人にやさしいモノづくり」を掲げているパナソニックには、さまざまな立場の方にとっての生活必需品であるということに想いを馳せないと、安心して使える良い製品にならないという考えが、DNAとして根付いています。

パナソニックにおけるインクルーシブデザインの推進に当初から携わってきた中尾洋子は、こう話します。
中尾インクルーシブデザインに取り組む中で、車椅子ユーザーの方や聴覚障がいのある方、若年性認知症の方など、さまざまな制約のある方のお話を伺うのですが、「社会や環境がこうだから仕方ない」と、やりたいことを諦めている方もいます。
製品を通じて、くらしの中でお客さまがやりたいことをやれる状態を目指していくことが、パナソニックとして行うべきインクルーシブデザインだと思っています。誰もがさまざまなことを諦めずにすむような、社会や環境に変わっていくところまで実現したいです。開発した製品の存在そのものがそうしたメッセージにもなりえるので、理想を語るだけではなく、インクルーシブデザインを一つずつ形にすることで前に進んでいけたらと思います。


始まりは、視覚障がいのある方の声
ライフスタイルの多様化も進み、さまざまな特性やバックグラウンドを持つ人がいることへの理解も進みつつある時代。社会や個人のくらしの変化とともにパナソニックのものづくりも進化してゆく中で、アタッチメントチップのプロジェクトは始まりました。
中尾近年、インテリアにフィットするシンプルなデザインが人気を得ていて、家電の操作部もフラットなものが増えています。お手入れ性の高さやデザイン性が評価されているのですが、視覚障がいのある方との対話の中で、「電子レンジを操作するときに、どのボタンを押したらいいかわからない。ボタンを区別できるようにしてほしい」ということや、「手がかりのない操作部は、見えない自分が拒絶されているようで疎外感がある」と伺いました。
当事者へのヒアリングから、実は、目を離せない子育て中の方や、小さなお子さん、認知症のある方なども、フラットなボタンに操作のしづらさを感じていることがわかったんです。
そこで生まれた解決策がアタッチメントチップでした。インクルーシブデザインの開発では、視覚障がい当事者の支援団体からも意見を集め、最終的に8種類のシンプルなマークを採用しています。



当事者の声から生まれ、共につくりあげたアタッチメントチップの3Dデータは現在、オンラインプラットフォーム「COCRE HUB」を通じ、無償で提供が行われています。
中尾以前から、3Dプリンターでアタッチメントをつくれば、それぞれの人にフィットするものが提供できるのではないかという案は持っていたんです。実はこれまでにもフラットな操作部に対応するための穴の開いたプレートや、突起の付いたシールをつくっていたことがあるのですが、操作部が変わるごとにつくり直さなければならず、在庫管理の必要があるなど、コスト面で見合わずに提供が継続できなくなったことがありました。そうしたことから、継続的に提供できるようにするという観点でも、3Dプリンターで印刷していただくデータ提供という形を選びました。

安全面の検証や法務の立場で向き合う
アタッチメントチップの実現に至るまでには、本プロジェクトを主導したデザイナーによって、パナソニック社内のさまざまな部門のスタッフとの連携が図られました。
アタッチメントチップの開発を牽引したデザインの中尾洋子(なかお・ようこ)、安全面での検討を行った技術の山本晴由(やまもと・はるよし)、法務を担当した安藤有紗(あんどう・ありさ)の3名に、話を聞きました。

──山本さんと安藤さんは、アタッチメントチップのプロジェクトについて最初に聞いたとき、どのように感じられましたか?
山本一言で言うと、「どんどんやったらいいやん」と(笑)。在庫を抱え込むことになるものをつくるとしたら経営面の負担があるとは思いましたが、データを配布するという話を聞いて、いいなと思いましたね。

安藤インクルーシブデザインの概念を、製品やサービスに反映している取り組みを個人的には初めて目にしました。また、製品そのもののデザインを変えるのではなく、アタッチメントチップという手段を用いて、これまで取りこぼされてしまっていた方々に届けていこうとする試みは、とてもユニークで面白いと感じました。

山本一方で、幼児や乳児が間違って飲み込んでしまう誤飲が心配だと思いました。一般的に、直径4センチ以下のものであれば、子どもが飲み込むリスクがあることが分かっているのですが、アタッチメントチップは、さらに小さなサイズです。
私は、製品の安全や法律に関して、技術的なサポートをすることが役割なので、アタッチメントチップが3Dプリントされてから取り付けられるまでの間、あるいは取り付けた後に、剥がれたりしないかといったさまざまな観点から誤飲リスクの評価をさせていただきました。

──どのように安全性の評価を行われたのでしょうか?
山本まずは、パナソニックグループの安全規格で定めているリスクアセスメントの手法を参考に、アタッチメントチップが製品に装着されず放置されてしまう可能性や、放置されたアタッチメントチップを子どもたちが手に取る可能性、手に取った後に口の中に入れてしまう可能性、またその後、飲み込んでしまう可能性がどれくらいなのかなどを予想して、誤飲が起こりうる頻度を机上計算しました。
もちろん、机上計算だけでは安全だとは言い切れないので、あわせて、世の中にある同じくらい小さなもので、販売禁止になったものはないか、その理由は何か、逆にたくさん売られている小さなものにはどんなものがあるかなども調べながら、安全性を客観的に評価していきました。
調査の中では、子どもがよく手に取るカプセルトイや、食パンの袋を止めるバッグクロージャーなどを参照しました。びっくりするほどの数が流通しているとがわかったので、社会通念上、それらがリスクとしてどのように受け止められているかも鑑みて、安全根拠を見つけていきました。
安藤法務の立場では、全体的な法的整理や、契約書の作成を行いました。特に、「万が一事故が起きた際に当社としてどこまで責任が取れるようにするのか」、「そもそも事故を未然に防ぐため、事前に検討すべき事項は何か」、さらに製品安全や知財といった他職能での検討内容を踏まえ「利用規約等の各種契約書をどのような構成にするのか」といった点を、皆様にもご協力いただきながら検討しました。
中尾予想以上にリスクアセスメントが厳しかったのですが、それを経たからこそ安心して世に出せるものになったと思っています。
山本製品安全についての法律や社会通念は時代とともに変わっていくものなので、世に出したからそこで終わりという話ではありません。社会の変化に常にアンテナを立てながら今後の動向も見ていかなければならないと思いますし、そこまでやることがパナソニックのブランド価値のひとつにもなると思っています。
どんどんやって、変えていこう
──このプロジェクトに関わられたことで、インクルーシブデザインやインクルーシブなものづくりについて、考え方が変化した部分はありますか?
山本トップダウンの企画だからやり始めるということではなくて、「必要な人がいるからやっていこう」という現場のお客様に寄り添う想いに、スタート地点が変わっているように感じました。他の事業の企画でもそういうスタートもあればいいなと思いますね。
安藤(視覚障がいのある方だけでなく)小さいお子さんを子育て中の方など、さまざまな方に需要があるという点や、顧客の声を起点にデザインを開発する、いわゆるマーケットイン的なプロセスを採られている点が非常に新鮮でした。また、インクルーシブな取り組みというと、会社の人事施策にとどまりがちな印象がありましたが、パナソニックのようなメーカーであれば、商品に組み込むアプローチが可能なのだと知り、新規性を感じました。
中尾インクルーシブデザインというと、ものすごいイノベーションを起こした、画期的な新商品じゃなければならないと思っている方もいるのではないかと思うんです。でも、アタッチメントチップのように、後付けの部品で既存の製品をアップデートしやすいものができたことが世の中に伝われば、インクルーシブデザインを手軽に行うきっかけにもなるのでないかという期待を持っています。

──アタッチメントチップのプロジェクトによって、普段の業務や開発への副次的な効果を感じた部分があれば教えてください。
山本こうした活動が形になってリリースされることによって、社内でインクルーシブデザインについての認知が広まっていったら、みんなの意識が変わって、製品デザインの発想も変わってくる可能性があるかもしれないと思いました。
安藤このプロジェクトでは、社内のさまざまな職能にも見解をいただくことが多かったのですが、それぞれの立場の意見を一つひとつ集めていくことの重要性を感じました。多くの人の知恵や経験が集まることによって、今回の取り組みがブラッシュアップされる過程を見ることができました。法務としても、アンテナを高く立て、今後もさまざまな職能と連携しながら対応していきたいと思います。
中尾今回は外部のプラットフォームを経由してデータを提供する手法をとったので、普段とは異なる過程を経たことは新しい経験でした。先ほど山本さんが言っていた「(製品が)世に出た後も見ていくことがパナソニックのブランド価値」というのは本当にそうだなと思いましたので、そうした面も踏まえつつ、今後もインクルーシブデザインの活動をしていきたいと思います。

どれだけひとりの意見を聞けるかが価値になる
──今回のような取り組みを持続可能なものにしていくために感じている課題感や、考えている方法があれば伺いたいです。
中尾インクルーシブデザインに関するいくつかの取り組みを進めるにあたって、最適なアウトプットを考えるためのマトリクスをつくったんです。製品自体を改善するべきなのか、アタッチメントチップのように後付けのもので対応するべきなのか。あるいは社外の既存のサービスやソフトウェアで解決できるのか。今回は、今お使いの家電で困っている方に対応するために、家電を買い直さなくても解決できる後付けの対応で解決することを選びました。
でももしこの活動が評価されて、多くの人が望んでいることが分かれば、今後はお手入れ性やデザイン性が高く、かつ、見えない方も使えるような製品開発が進むかもしれません。本当に望まれているものは何なのか、そしてその先にある潜在的なニーズが何なのかを発見していくことが必要であると思います。
山本メーカーとしては、製品を完成した形で出荷することを一生懸命に目指していますが、今回のプロジェクトの中では、あえて不完全なものを出荷する価値を考えていました。例えば自動車には、メーカーオプション、ディーラーオプションがありますよね。アタッチメントチップがそうであるように、家電も、購入する方が希望に合わせてカスタマイズして初めて完成形になるようなスタイルがあったら面白いし、売上にもつながっていく形を探れれば、お客さまとメーカーのどちらにとってもいいことであるように感じました。

安藤私はこのプロジェクトを通して、ファンづくりの重要性を感じました。当事者へのヒアリングを通して理解と共感を得たり、また協力いただける外部団体や社内の職能を巻き込んでいらっしゃる姿を拝見し、企画メンバーの熱意と前向きな姿勢が、多くの人を惹きつける力になっていたと思います。実際、私自身もその熱量に引き込まれ、今回の取り組みに前向きに関わることができました。共感者や協力者=ファンを増やすことが、取り組みを持続可能なものにする上で、非常に大切であると実感しています。

中尾デザインや技術の面でアイデアがあっても、ビジネスとして成り立たないこともありますし、製品として形になっても、伝え方がうまくいかないと本当に必要な方にうまく届かないというケースも実際にありました。さまざまなフェーズで、さまざまな方を巻き込みながら最適な形にしていくことが必要だと感じます。
──インクルーシブな社会や、そのようなものづくりを実現していくことについて、それぞれの立場で今後実践していきたいことや、考えられていることをお聞きしたいです。
山本このプロジェクトは、製品安全の業務を改めて考え直す機会になりました。製品安全というと、これまではブレーキを踏むことだけを考えることが多かったのですが、今回のようにアクセルに足をそえる場面があってもいいのではないかと思いました。
このように考えたことがパナソニックの他の商品に少しでも参考になればと感じています。世の中と製品をよく見て、一歩踏み込んだ視点はなんだろうと常に意識して考えることが、これからのパナソニックにはいっそう必要なのではないかと思います。
中尾今は大量生産、大量消費の時代ではないので、先ほど山本さんが話していたカスタマイズのような可能性も含めて、柔軟な方法で価値を提供しなければ生き残っていけません。そう考えたときに、どれだけさまざまな方の意見を聞けるかが価値になるのではないかと思っています。
今回この取り組みの中でも多くの方のご意見を聞きましたが、自分になかった気づきが得られることは本当に価値があると思いましたし、今後もいただいたご意見を活かしていけば、望まれる商品を出していけるのではないかと思っています。この取り組みをきっかけに面白い商品が出てくることを期待しています。
安藤山本さんと同様に、法務もブレーキをかけなければならない職種だと思います。ですが、まずは話を丁寧に伺いながら、いかに実践的なソリューションを提供できるかにこだわり、ブレーキとアクセルを上手く使い分けていきたいと思います。
インクルーシブデザインのように、社会や会社にとって価値のある取り組みが、良い形で世に発信できるよう、法的な課題や障壁を乗り越えられるように伴走していきたいです。私もこのような取り組みがきっかけとして、広がっていくことを、願っています。

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中尾 洋子(なかお・ようこ)
パナソニック株式会社 デザイン本部 トランスフォーメーションデザインセンター ストラテジーデザイン1部
1992年入社。白物家電のデザイン担当からキャリアをスタートし、2005年4月よりユニバーサルデザインの推進に従事。2021年10月より未来創造研究所(現トランスフォーメーションデザインセンター)に在籍。グループのインクルーシブデザインの推進を、規程やツールなどのしくみづくりから、商品開発のサポートまで広く手がけている。
私のMake New|Make New「やさしさ」
あたらしい「やさしさ」をつくるのがパナソニックのインクルーシブデザイン。
多様な方と共に考え、つくることで、これまでにない、あたらしい「やさしさ」が実現できると信じています。

山本 晴由(やまもと・はるよし)
パナソニック株式会社 くらしアプライアンス社 くらしプロダクトイノベーション本部 イノベーション戦略室 運営企画部
1988年入社。白物家電の開発業務に従事。2010年より技術本部(現くらしプロダクトイノベーション本部)に在籍。製品安全をはじめ、法規、技術管理などの分野で事業場の技術サポートを手がけている。
私のMake New|Make New「製品安全」
製品安全に対する社会通念はドラスティックに変化しており、当社にとってお客様にとって未来を見据えた製品安全とは何かを考え続けていきます。

安藤 有紗(あんどう・ありさ)
パナソニック株式会社 リーガルセンター 企画部
2022年入社。直轄部門を中心に契約相談、法務相談対応をはじめ、コンプライアンス業務対応などを手がけている。
私のMake New|Make New「Perspective」
法律や契約書などを活用することで、リスクへの対応だけではなく、戦略的なアクションが可能になるよう、事業環境や事業戦略を踏まえた最適な法務アクションを検討・構築できる人、言い換えれば「新しい視点」を提供できる人でありたいと考えております。