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電線やコンセントを使わず、光や電波によって電力を送る技術「無線給電」。たとえば、自宅のリビングや寝室に入っただけで、スマートフォンが自動で給電される。あるいは、無線給電で動くセンサーを橋や道路などに張り巡らせることで、インフラの劣化状況を常に監視できる。社会を大きく変える可能性を秘めた、夢のような技術である。
現在、パナソニック株式会社 エレクトリックワークス社(EW社)では、無線給電の研究開発を行なうアメリカのスタートアップ「PHION社」と共創し、無線給電の社会実装に向けたさまざまな検証を進めている。その共創活動は、EW社のアクセラレータープログラムに採択され、最終日の成果発表会では最優秀賞にも選ばれた。
PHION社CEOのJonathan Nydell(ジョナサン・ナイデル)とともに活動を牽引したのが、起案者でもある黒田淳生(くろだ・あつお)。自らを「普通のおっちゃん」と評する黒田に、PHION社と歩んだ刺激的な4か月の振り返りと、これからの展望を語ってもらった。また、ジョナサン氏に行なったメールインタビューの回答も合わせて掲載する。
電源コードが不要に。光で充電ができる?!
――EW社のアクセラレータープログラムで、PHION社と共創している「無線給電」とはどのような技術なのでしょうか?
黒田無線給電は文字どおり、電源コードやコンセントなしで給電ができる技術です。私たちが挑戦しているのは、Wi-Fiのように離れた場所をつなぎ、電気を送る「空間伝送型」という仕組みですね。電気を送る方法は電波を使う方式と、レーザーを照射して受け手側で電気に変える「光方式」があり、PHION社と取り組んでいるのは後者になります。
アクセラレータープログラム『Panasonic Accelerator by Electric Works Company』
くらしインフラの変革を通じて、「いい今日と、いい未来」を創ることを目指し、優れた先進的技術やノウハウを有するスタートアップと共創し新規事業を加速させるパナソニック株式会社 EW社の取組み
黒田なお光方式は数ある無線給電の方式のなかでも新しく、本格的に研究がスタートして20年ほど、ほかの給電方式と比べて歴史の浅い分野です。それだけに、まだまだ研究の余地がありますし、うまくいけば私たちパナソニックが主導で規格を制定し、新しい市場をつくっていける可能性もあります。
――パナソニックがつくる新しい市場というと、無線給電の技術そのものを事業化して......、というイメージでしょうか?
黒田いえ、どちらかというと無線給電を搭載した製品をパナソニックでつくり、事業化するイメージです。当社の強みとして、もともとEW社が持っている商流があること、無線給電を搭載できる可能性を持つ電材・家電の種類の豊富さがあります。それらの資源を活かせば、新たな市場が開拓できるはず。今後は、そのための製品規格もクリアにしていく必要があると考えています。
――無線給電のシステムがある未来の空間では、そのエリアに入っただけでスマートフォンなどが自動で充電されるのでしょうか?
黒田おおよそそのとおりです。たとえば自宅のリビングや寝室などに無線給電のシステムがあれば、いつでも自動的に充電がなされ、家を出るときには常に満充電の状態になっている。そんなイメージですね。
ただ、あくまでそれは通過点。ゆくゆくは自宅だけでなく、オフィスや公共施設、商業施設など、外出先でも専用のアカウントなどを持っていれば充電ができるようになる。そして、その充電記録をもとに個々の行動データを分析して生活習慣改善のアドバイスをするなど、もう一段階上のサービスに活用できるのではないかと考えています。
――スマートフォンなどの充電以外では、どんな活用方法が考えられますか?
黒田たとえば、住宅やオフィスなども無線給電に置き換えることで配線に縛られることがなくなり、より自由なレイアウトが可能になります。タコ足配線に悩まされたり、コード類に足をひっかけて転倒したりする心配もありません。また、建築現場には電動工具や工事用照明などのコードが多く、足元の安全面に課題がありますが、それも改善できるでしょう。
さらには、街のインフラにも活用できる可能性があります。たとえば、橋や道路、水道管など屋外のあらゆる場所に無線給電で動くセンサーを張り巡らせることで、リアルタイムで常に状態を監視できます。劣化するインフラの維持は日本全体の課題ですが、そこに貢献できる技術でもあると思います。
――ただ、現状では実用化に向けた課題も多いわけですよね。
黒田課題だらけです。安定的に一定以上の電力を伝送する技術を確立しつつ、人体への影響を含めた安全性も担保しなくてはいけません。また、規格や規制への取り組み、活用事例を重ねることなど、本当に困っている方へ届けるためにクリアすべき課題は盛り沢山ですね。
そこは、光方式の無線給電に取り組んできたスタートアップの「PHION Technologies(以下、PHION社)」と共創するなかで、一つひとつ乗り越えていければと思っています。
「失敗しても構わない」事務局の一言が後押しに
――PHION社との共創活動はEW社のアクセラレータープログラム『Panasonic Accelerator by Electric Works Company』に採択され、2024年3月の成果発表会(デモデイ)では最優秀賞を受賞しています。そもそも、黒田さんがこのアクセラレータープログラムに参加することになった経緯を教えてください。
黒田『Panasonic Accelerator by Electric Works Company』は2021年にスタートし、私は3回目の2023年度に参加しました。EW社のアクセラレータープログラムはケアやサポートが手厚いという評判も聞いていました。起案者一人ではできることが限られますが、プロジェクトの推進にあたって必要なスキルを持つ人を社内から公募してアサインしてくれる制度がある。しっかりとチームを組成して進めることができる仕組みがあることは心強かったです。
また、事務局から「失敗しても構わない」という後押しの言葉をもらったこともあり、挑戦してみることにしました。私が応募したのは2023年度から新設された「イノベーター枠」で、EW社横断の事業開発テーマを推進するというもの。そこで、かねてから関心を持っていた無線給電の事業開発にトライしてみようと思ったんです。
――なぜPHION社と共創することになったのですか?
黒田無線給電を研究している会社は国内にもいくつかあります。ただ、PHION社の研究は、安全性・伝送距離・伝送電力の3拍子揃っているという点で、他社よりも先へ進んでいました。また、アクセラレータープログラム事務局からの候補リストに入っていたこともあり、総合的な判断で共創相手に決めました。
――アクセラレータープログラムに参加すること自体に不安はなかったですか?
黒田正直、そこまで深く考えずに始めたぶん、当初はあまり不安を感じませんでした。ただ、徐々に具体化するにつれ、特にPHION社との共創が決まってからはどんどん不安が膨らんでいきましたね。
私はそれまで国内のスタートアップとのおつき合いもほとんどなかった。それなのに、いきなりシリコンバレーのスタートアップとご一緒することになったわけですから。しかも、PHION社のJonathan Nydellさん(ジョナサン・ナイデル。以下、ジョンさん)はスペースX(※1)で宇宙船の開発に従事していたような、すごい経歴を持った方です。私のように英語も話せない普通のおっちゃんは、彼のスマートな振る舞いに圧倒され、太刀打ちできないだろうと思っていました。
※1 2002年にイーロン・マスクによって設立されたアメリカの航空宇宙会社
――それでもドロップアウトしなかったのは、この事業に対する思いの強さゆえでしょうか?
黒田そうですね。そもそも私が松下電工(現・パナソニック)に入社した動機の一つは、創業者の松下幸之助が開発した「二股ソケット」でした。
約100年前、一般家庭には電気の供給口が電灯用ソケット一つしかなく、電灯をつけているときには電化製品を使うことができませんでした。そこに、他社製品に比べて安価で壊れにくい二股ソケットが登場したことで、夜、明るい部屋のなかでも家電を使った家事ができるようになった。それは多くの人々のくらしを変え、笑顔を生んだはずです。私もそんな仕事がしたいという思いで、これまで働いてきました。
――無線給電に取り組み始める前から、自らの仕事で世の中を変革したい思いがあったと。
黒田はい。現在の職場に来る前は、ハウジングの事業部でシステムキッチンの人造大理石カウンターの開発に携わっていました。当時のキッチンといえばダイニングの端の壁にそって配置するのが一般的で、カウンターの素材もステンレスが多かったのですが、人造大理石のおしゃれなカウンターが広まっていくにつれ、キッチン自体がリビング側に進出していきました。自分がやった仕事によって、新しい「あたり前」がつくられていく。そんな実感を持てる経験でしたね。
その後は、同じくハウジング事業部内のお風呂の新製品を立ち上げるチームにアサインされ、施工の品質を管理する役割を担いました。新しいものを立ち上げる過程ではさまざまなトラブルも起きますし、お客さまからお叱りを受けたことも数知れません。でも、そうした一つひとつの声を品質の向上につなげて新しいものを世の中に広めていく仕事に、やりがいを感じていましたね。
今回、無線給電の事業開発に取り組むうえでも「それに初めて触れる人の笑顔が見たい」という思いが原動力になっています。
「いい今日といい未来」ビジョンへの共感から信頼が生まれた
――PHION社との共創についてもお聞かせください。これまで具体的にどのような活動をしてきましたか?
黒田最初のオンラインでの顔合わせが2023年の8月。正直、はじめはお互いに「腹の探り合い」みたいなところがあったと思います。そこから、まずは11月にあるアクセラレータープログラムの最終採択審査会に向けて、ビジョンの共有から始めました。
『Panasonic Accelerator by Electric Works Company』は、「いい今日といい未来」というビジョンを掲げています。無線給電というテーマは、インフラの変革を共創していくという意味でそのビジョンにぴったりで、10月のミーティングでそれをPHION社側にお伝えしたところジョンさんにも共感いただき、そこから少しずつ打ち解けられたと思います。
11月の最終採択審査会を経て正式にNDAを結んだあとは、PHION社が持つ技術も可能な範囲で開示してくれ、オンライン上でデモもしていただきました。その後、われわれがアメリカのPHION社を訪問した際も、ジョンさんは技術に関することなど約60個の質問に真摯に答えていただき、あらためて信頼できる人だと感じました。
黒田結局、PHION社とはNDA締結から2024年3月の成果発表会(デモデイ)までの4か月で17回のミーティングを重ね、技術の検証や安全認証計画の立案、ユースケースの立案などに向けた議論を交わしました。
――当初は不安もあったとのことでしたが、ジョンさんとの仲が深まったきっかけやタイミングはありましたか?
黒田オンラインでの打ち合わせがメインだったのですが、わりと初期のミーティングでジョンさんが日付を勘違いされ、翌日にリスケとなったことがありました。そのミーティングの冒頭で、彼は「すみません」と何度も真摯に謝られて。私のなかでは、海外でバリバリやっているスタートアップのトップは簡単に頭を下げないというイメージがあったので驚きましたし、信頼が増しましたね。
また、その後直接お会いしたときに食事をしたのですが、その場でもジョンさんはプロサッカー選手を目指していたことや、スペースXで取り組んでいたことなど、色んな話をしてくれました。彼はとてもオープンマインドですし、日本のこともすごく勉強されていて、われわれがPHION社を訪問したときも最終日に「一本締めしましょう」と言ってくれるなどユーモアもある。そんな人柄に触れ、最終的には彼のことが大好きになっていました。
無線給電の社会実装まで、課題は山積み。だからこそ面白い
――3月の成果発表をもって、いったんアクセラレータープログラムは終了しましたが、今後もPHION社との共創は続いていくのでしょうか。
黒田もちろんです。私たちもジョンさんも、もともとアクセラレータープログラムの活動だけで終わらせるつもりはありませんでした。一つの区切りとして最優秀賞をもらえたことは励みになりましたが、われわれはすでに次を見据えています。PHION社とも、今後どうやって共創を進めていくか具体的な協議を重ねていきたいですね。
――では最後にあらためて、無線給電を社会に実装するにあたっての決意をお聞かせください。
黒田先ほども申し上げましたが、この技術はまだ歴史が浅く、現状では数多くの課題があります。でも、だからこそ面白いんです。デモデイの発表で、ジョンさんも「20年前、Wi-Fiがいまのようにあたり前になることなんて、誰も想像していなかった」とおっしゃっていました。無線給電をそのあたり前にするために、最高のパートナーとともに一つずつ課題をクリアしていきたいと思っています。
デモデイの表彰を受けた際、EW社の大瀧社長から送られた言葉が、とても印象に残っています。それは「新たな技術をモノにできるかが問われている。われわれには強い志を持って世の中を変えていく覚悟が必要」というもの。この言葉を心に刻んで、強い志を持ってこの事業を推進していきたいです。
ジョンさんからのメッセージ
――EW社との共同制作にあたり、どこに魅力を感じましたか?
EW社は、イノベーションを非常に高く評価しています。海外(米国)のスタートアップとの協働を模索するところから、共創を具体的な短期・長期の目標に落とし込むところまで、ほかの大企業が技術イノベーションやスタートアップとの共創を目指す際に手本となるものを示しています。黒田さんが率いるチームは、足並みのしっかりと揃った理知的な組織であり、私たちがともに描く未来のビジョンの実現に向けて意欲的です。私たちPHIONにとって、この共創は心から楽しいものであり、一緒に研究を次のレベルへと進められることをとても嬉しく思います。
――4か月間の共創のなかで、印象的だったエピソードを教えてください。
EW社のチームは、ミーティングに向けて綿密に足並みを揃え準備を整えてくれただけでなく、私たちとの共創を計画するにあたり大変な労力を注いでくれていることに気づきました。スタートアップと大企業の協働においては、スタートアップ側が大企業側に対して価値を説かざるをえなくなることが往々にしてあり、これは非生産的な力関係をつくり出すことにつながります。
ですが、EW社のチームとは、とても大きな課題の解決のために互いに協力している対等な関係であると感じることができました。研究自体が、未来のために意義のあるエキサイティングなものであることはもちろん、EW社のメンバーが素晴らしかったことで、コラボレーションを非常に楽に進めることができました。
また、オンラインミーティングでお話ししたときから、黒田さんが大きな夢を持ち、深い考えを持って課題に取り組んでいることを感じていました。実際にお会いしてみると、さらに多くのことがわかりました。EW社のチームほかのメンバーや、上司、ReGACY(※2)とのやりとりのなかでは強いリーダーシップを感じましたし、技術的な知識の深さにも感銘を受けました。ですが、何よりも印象的だったのは傾聴力です。その点が優れている人にはなかなか出会えませんので。
※2 アクセラレータープログラムを運営支援しているReGACY Innovation Group株式会社
――最優秀賞を受賞したときはどう感じましたか?
一言で言えば、感激でしたね。今回のプロジェクトで私たちが行なった仕事は大変なものでしたが、さらに時差と言語の壁もありました。2社のコラボレーションを上手くマネジメントしてくれたReGACYチームには、大変感謝しています。厳しい競争のなかで受賞を勝ち取れたことは、PHIONの技術とパナソニックのアイデアがいかに強くマッチしているかを示す強力な証左だと思います。今回の受賞は、来るべきエキサイティングな未来の始まりだと考えています。
Profile
黒田 淳生(くろだ・あつお)
パナソニック株式会社 エレクトリックワーク社 経営企画室 事業開発推進部
1994年入社。現パナソニックハウジングシステムソリューションズ株式会社にてシステムキッチン、バスルーム等の水廻り住宅設備を中心に商品開発、品質管理に従事。2020年4月より、現EW社 経営企画室に在籍。建物DXをはじめ、新事業開発などを手がけている。
私のMake New|Make New「your smile」
これまで、表に出る照明器具や裏側で目立たない速結端子まで、当社商品でくらし、あるいは働く人々を「笑顔」にしてきたと思っています。今回の無線給電もそうありたい。電気を受け取る人の「笑顔」を想像しながら、私も「笑顔」で覚悟を持って取り組んでいきたい。この先、無線給電がくらしに溶け込み、あたり前になる日を楽しみにしています。
Jonathan Nydell(ジョナサン・ナイデル)
PHION社 CEO 兼 CTO
リーハイ大学(ペンシルベニア州)で工学物理学の学士号を取得。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン や CERN(欧州原子核研究機構)で研究後、高エネルギー(レーザー)物理学の修士号を取得。
SpaceXに入社後はリードエンジニアとして、宇宙船、ロケット、衛星の電気設計および電磁両立性を研究。その後PHION社を立ち上げ、技術開発と製品設計をリード。