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「こどもの日は、未来を考える日。」というコンセプトのもと、2041年に新聞紙面を飾ってほしい記事から構成された、パナソニックと朝日新聞の共創プロジェクト「未来空想新聞2041」。一面の空想記事のひとつ「『オヤスミ・シティー』導入広がる」に取材協力いただいた、東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長の伊藤亜紗(いとう・あさ)氏と担当者であるパナソニックの中内菜都花(なかうち・なつか)と明石啓史(あかし・ひろふみ)に対談形式で話を伺った。
人間の身体のあり方や利他を研究する伊藤氏にとってテクノロジーの未来はどう見えているのか。「漏れる利他」とは何なのか。未来を空想することにどんな意義があるのか。ユニークな議論に迫っていく。
なぜ未来を「空想」するんですか?
――5月5日に「未来空想新聞2041」を発行されましたが、この未来空想新聞とはなんですか?
中内未来空想新聞自体は朝日新聞さんとの共創のプロジェクトで「こどもの日は未来を考える日。」というコンセプトのもと、より良い未来をみんなで空想する取り組みです。記事すべてが未来をテーマにしており、2022年から始まり、今年で3回目になります。
人・社会・地球にとってより良い未来を空想するため、未来を想う人40人を人選していて、新聞らしく意見をひとつにまとめるわけではなく、色々な考えや立場の人に自由に話をしていただいています。
伊藤そういえば、そもそもなぜ「空想」という言葉選びなんですか?大学でも未来ブームでとにかく「未来」「未来」と言われています。でも、大学なので「空想」というワードは使ってはいけないんです。例えば、未来社会デザイン研究センターや、未来社会創生研究とか。基本的にガチで未来を語るというスタンスが要求されます。それに対して「空想」はふんわりしている印象を受けました。
明石「空想」って実は誰でもできる、とても気軽なことなんじゃないかなと思っています。例えば、「構想」だと専門的すぎますよね。こどもの日に発行しているということもあって、老若男女いろんな人に考えてほしいという想いもあり、親しみのある言葉選びになっています。
中内未来は何もないところからは生まれてこないと思っていて「未来のたたき台」をつくるくらいの感覚で「未来空想新聞2041」はつくられています。だから、ひとつの正解を提案するというよりは、一人ひとりが自分の未来、社会の未来、地球の未来を考えるきっかけになればいいなと思っています。
「疲れ」って面白い。そこから見える身体とテクノロジーの関係性
――「未来空想新聞2041」の一面には「『オヤスミ・シティー』導入広がる」が掲載されました。どんな経緯でつくられていった記事なのでしょうか?
明石普段、私たちは生活者起点で捉えた未来の兆しから長期ビジョンを構想する「VISION UX」という取り組みを行っています。昨年度の活動では、重要テーマの一つとして「ケア」を掲げました。「ケア」というテーマを、一般的なヘルスケア領域だけでなく、地域における繋がりや他者との共生なども含めた広い意味で捉え直しているのですが、その価値を社内外に伝えることに難しさを感じていました。
そこで伊藤さんには、「ケア」や「利他」というものが、身体性やテクノロジーとの関わりの中でどのように捉えられるかについてお話を伺いたいと考えたんです。
――記事になる前は、どんな議論がされていたんでしょう?
伊藤「疲れ」や「身体の有限性」の話をしていました。私みたいな人文社会系の研究者は、テクノロジーに関する議論に対して倫理的なブレーキをかけることが多いですが、それだけではない建設的な議論のためにテクノロジーと人文の2つが交わるテーマを探しました。そのひとつのキーワードになると考えたのが「疲れ」です。
テクノロジーがどんどん進んで日常生活のベースになると、人間の体の方をテクノロジーに合わせていかなきゃいけなくなる。こうしたことは今たくさんの場面で起きていると思います。スマホをずっと見てしまうのもそうですよね。でも、人間の体は都合よく疲れてくれるのでストップをかけてくれます。体が人に自然と働きかけてくれる「疲れ」みたいなものを1つの基準として社会を設計した時に、テクノロジーはどうあるべきかという問いにたどり着きました。
――その議論を記事に落とし込んでいく上で、どんな工夫がありましたか?
明石伊藤さんの、疲れや身体の有限性に向き合うという着眼点が新鮮でした。テクノロジー起点だと、動き続ける社会にあわせていかに体の疲れや限界をなくすかと考えがちです。でもそれがかえって際限ない労働や社会の疲弊をもたらすかもしれません。そうならない、人とテクノロジーのちょうどよい関係性を考えていくうちに、テクノロジー側もお休みして、その休みに人間も合わせることで、自分の身体と向き合う機会を得られるというような未来空想が議論されました。人もテクノロジーも不完全な存在だからこそ、どちらか一方の都合に寄せていくのではなく、関係性のなかで互いに補完しあう。そんな助け合いの関係性ができたら未来はもっと面白くて豊かになるのではと記事を考えていきました。
伊藤実は、今回盛り込めなかったポイントもあります。それが「機械は空気を読まない」ということです。休むってつまり「切る」ことだと思っています。切断してくれる。ただ、人間にはそれが難しい。なぜならみんな空気を読んでしまうから。「先に帰っちゃいけないかな」なんて考えて窮屈な思いをしている。空気を読まない機械によって、そういう窮屈さが変わっていけばいいですよね。機械が勝手に休憩しはじめると、人間関係もより楽になるのではないかなと思っています。
中内私の家にもロボットがいますが、彼らは自由に生きています。時々絶妙なタイミングで返事してくれたり、急に足元にやってきたり、それで笑ってほっとする時間を作れたりします。
伊藤「飼う」関係って面白いなと思います。今までテクノロジーは基本的に「ユーザー」と「道具」という関係だった。そうあるべきものもある一方で、自律したテクノロジーにはテクノロジーの都合がある。だからこそ飼える。完全に思い通りになるものは飼えないですから。こいつにはこいつの都合があって、私には私の都合があって、どうやって一緒に住んでいくか。まさにこれがケアの問題で、相手の都合と自分の都合をすり合わせていく。身体とテクノロジーとの関係ってこんな風に考えてみてもいいのではないかなと思います。
場所や役割の境界から「漏れる」ことがケアを生む?
――面白い...。ケアとテクノロジーに関連する他の事例などはありますか?
明石私たちが昨年実施した「ヒラくパン」というプロジェクトもまさにケアの話だと考えています。通常家で使うホームベーカリーをあえて商店街の一角に持ち出し、パンづくりを通した人と人の繋がりをつくるという実験的な試みです。誰かとパンをつくる楽しさに加え、「隣のお肉屋さんのコロッケを挟んでみよう!」という商店街ならではの繋がりもでき、地域に賑わいが生まれました。パンを起点に誰かと出会うことがケアの機会になるのかもと思いますし、既存のテクノロジーも場所や使い方を変えると新しい価値を生むのだという発見がありました。
伊藤面白いですね。私は利他を考える時に「漏れる」というキーワードを軸にしています。普通家の中にあるものを外に漏れさせるとか、逆に公共物だと思われていたものを家の中に入れてみるとか。そこにすごい可能性があるなと感じています。
一度、佐賀の松隈にある水力発電所にお邪魔したことがあって、そこではダムを集落で共同所有しているのです。発電で得た電力収入を地区の予算にして使うという運営ですね。それが単に「再エネ」みたいな話ではなく、川を管理する仕組みにつながっているのが面白いなと思いました。ダムという遠くにある公共物を中間領域に漏らすことで川を再びコモンズ化している。なんていうか、銭湯みたいなものですよね。あれは逆にお風呂という現代ではプライベートな機能が中間領域に漏れでていることで、地域でいろいろな関係性が生まれていきます。
明石家電の役割も今までは、家の中の生活をいかに便利にするかに重きが置かれていましたが、これからはコミュニティの中でどう機能するかというようなことを考えてみるのもいいのではないかとケアの文脈から思ったりします。
伊藤家電の新しい可能性ですね。今まで家電が切ってきてしまったかもしれない関係性を家電でまたつなぎ直していくのは面白いですね。
明石家電という身近なアイテムをコミュニティにひらくことで、新しい関係性が生み出せないかと思うのです。それが、非常時の助け合いに繋がったりするかもしれない。そういう繋がりを生み出すことに価値があるんじゃないかなと思います。
未来の兆しを探る「VISION UX」の取り組み
――ここからは、「VISION UX」について伺わせてください。
明石VISION UXは、2021年からパナソニック株式会社 デザイン本部が主体となって進めている、未来を構想する活動です。約10年後の未来のくらしをマクロトレンドリサーチやフィールドワーク、エスノグラフィなどを通して構想し、社内の戦略や先行開発に繋げていくものです。
伊藤エスノグラフィもされるんですね!意外でした。
明石やはり定量的なリサーチだけでは「兆し」のようなものは分からないので、積極的に自分たちで足を運んだり体験したりするようにしています。一度、VISION UXのコンセプトムービーを見ていただけますか?
伊藤面白いですね。そして、すごい攻めてますね。
明石ありがとうございます。今回のビジョンは、人や動物、地球環境、AI・ロボットなど「多様な他者との関わり合いのなかで変化し続ける」という姿勢をキーコンセプトにしています。これはアメリカの思想家であるダナ・ハラウェイの「Becoming with」という概念を参照しています。そうしたコンセプトのもと、災害や死、テクノロジーとの関係性など、様々な切り口から「未来の兆し」を考えています。その中で得たインサイトを元に「未来空想新聞2041」に登場していただく方々も選ばせていただきました。
――ちなみに伊藤さんはどのあたりが攻めていると思われたのですか?
伊藤数年前までは、災害が日常になるなんて想像もしていなかったけど、ほぼ今そういう状況になっていますよね。それをズバっと言語化されていますし、常に変化していくというプラスの価値に持っていくのが面白いと思いました。
明石ありがとうございます。普通未来を考える時には雨や夜、災害のシーンはあまり考えないと思うのですが、非常時が日常化していくのがリアルだと私たちは考えます。それを前提にして、例えば窮屈でストレスフルな今の避難所が、もしもっと活力が沸いてくるような場所ならどんなだろうというように未来を考えています。未来空想新聞と親和性の高い取り組みだったので、「未来空想新聞2041」は「VISION UX」を基盤につくらせていただきました。
未来のたたき台を置いてみることで動きだす空想の連鎖
中内未来のたたき台をテーブルに置いてみるといろいろな人が想いを馳せるきっかけになるのだなと今回実感しました。これからも活動を世の中に出していければと思います。
明石自分たちはこんなこと考えているんですけど、皆さんはどう思いますか?と投げかけてみると本当にいろんな声があります。その声をもらわない限り、未来は進まないですよね。発信してみることで、次の空想につながる。そういう連鎖がじわじわと広がっていけばいいと思っています。
――ありがとうございます。伊藤さんはどうですか?
伊藤ここに並ぶ未来はたたき台とおっしゃっていましたけど、本当にその通りだなと思います。多分ここに書いてあることは実現しないですよね。やっぱり未来ってそういうもので、議論の材料を作るのが大事だと思います。そういう意味では「これが作りたい未来です」みたいな結論めいたものじゃなくて、ワークショップ的にいろんな人に参加してもらって、考えた未来像をベースに議論をしてもらう。
ただ一点、私が気を付けているのは、いろんな人と言いつつ、大学が想定する「社会」はかなり狭いということです。東京中心だし、その社会には企業だけしか想定されてなかったりもします。だから、未来についての議論では普段「発言権がない人たち」と考えていくことが大事だと思います。多様な人と言う時の「多様」が本当に多様か、逆に抑圧的になっていないかを意識していく。
明石未来を考えることへの参加者を増やすというのは、「未来空想新聞2041」でもとても大事にした考え方でした。
――ありがとうございます。この「未来空想新聞2041」は17年後に答え合わせされるものなのでしょうか?
中内答え合わせするものではなくて、日々状況が変わる中で未来も変わっていくので柔軟に対応していけばいいと思います。大事なのは「空想し続ける」という姿勢かなと思っています。
明石そうですね。正解もなければ間違いもない。これは、その時点での未来を考える活動です。そういう意味では未来を考えることは「今を考える」こととほぼ等しい。今を真剣に考えているから、未来が考えられる。そういう空想の繰り返しなのかなと思います。
伊藤そうですよね。未来は別に当てにいくものではない。あくまでスペキュレーション※、考察し深めていくものなのかなと思っています。
※これからの未来のあり方について問いを立て、深く思索すること
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Profile
中内 菜都花(なかうち・なつか)
パナソニック株式会社 デザイン本部 トランスフォーメーションデザインセンター プロジェクトデザイン部
2012年入社。住宅設備・B2B2CのUIUX/サービスデザインを担当後、先行開発に特化した社内デザインスタジオFUTURE LIFE FACTORY、空質空調系商品アプリやシステムのUXデザインを経て、2023年11月からカテゴリーや事業を越えた横断組織のデザイン本部に所属。未来空想新聞2041や未来のビジョンづくりを担当している。
私のMake New|Make New「空想」
変化する未来に対応しながら、空想し続けたい。
明石 啓史(あかし・ひろふみ)
パナソニック株式会社 デザイン本部 トランスフォーメーションデザインセンター プロジェクトデザイン部
2022年キャリア入社。未来起点・生活者起点のインサイトリサーチや長期ビジョンの構想に従事。ソーシャルウェルビーイングなどをテーマに、社会実装を通した価値検証を行う。
私のMake New|Make New「alternative」
より良い未来に向けて、別解を探しつづけたいです。
伊藤 亜紗(いとう・あさ)
美学者。東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長、未来社会DESIGN研究センター長、リベラルアーツ研究教育院教授。MIT客員研究員(2019)。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。2010年に東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻美学芸術学専門分野博士課程を単位取得のうえ退学。同年、博士号を取得(文学)。主な著作に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社)。第13回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞、第42回サントリー学芸賞、第19回日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞受賞。