2024年4月、花王株式会社より発売された「キュレル 着る角層ケア」。乾燥性敏感肌の悩みを抱えるユーザーに向けた、「まるでもう一枚の肌のような極薄の生ヴェール」をまとうスキンケア商品だ。その化粧液を繊維状にし、肌に吹き付け極薄ヴェールを作り出す機器「ヴェールクリエイター」。パナソニックはノズルを中心とした本体の機構設計・開発、本体部分とカートリッジのノズル部分の製造を担っている。
要素技術の検討を含めれば、じつに3年にもおよんだ開発。販売に向けては克服すべき課題が山積みだったが、高い技術力と知見、最後は熱意を持ってやり抜いた。ハンディサイズの小さなデバイスには、どんな思いやこだわりが詰まっているのか?パナソニックで「ヴェールクリエイター」の機構設計、回路設計を担当した2名に話を聞いた。
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透明な極薄ヴェールで就寝中の肌を守る
――2024年4月に花王から発売された「キュレル 着る角層ケア」。橋爪さん、前田さんはその化粧液を繊維状にして吹きつける美容機器「ヴェールクリエイター」の開発に大きく関わられたということですが、まずはヴェールクリエイターがどのような機器なのか教えてください。
橋爪乾燥性敏感肌の悩みを抱える方向けの美容機器です。これを使って化粧液を繊維状にして吹きつけると、肌の上に極薄のヴェールのような「セカンドスキン」という膜をつくることができます。就寝前に使用することで、布団の中のほこりや花粉、摩擦などから肌を保護することができるというものですね。つけ心地の違和感もなく、透明なので見た目上も膜が目立ちません。
――化粧液を吹きつけるとヴェールができるのはどうしてですか?
前田静電気の力で極細の糸を紡ぐ「電界紡糸法」という技術が用いられています。簡単に言うと、化粧液を噴霧する際に電圧をかけることで剤のなかのエタノール成分が蒸発して糸状になり、膜を形成するというものです。
花王さんではもともとこの技術を研究してこられていたのですが、これを小型の美容機器に活用できないかということでパナソニックに相談いただきました。パナソニックではそれ以前に他の化粧品会社と協業で、ファンデーションを肌に噴霧する機器を開発していたことから花王さんの目に留まったようです。
そこからヴェールクリエイターの前身機種である1号機(※)の開発がスタートしたというのが、もともとの協業の経緯になります。
※花王の高級化粧品ブランド「est」から発売されていた「バイオミメシス ヴェールディフューザー」。ヴェールクリエイターと同じファインファイバー技術を用いた機器で、直径がサブミクロンの極細繊維を肌に噴きつけ、肌表面に膜を形成する。現在、本体は販売終了している
――1号機は2019年末に発売されていますが、その半年後には2号機、つまり「ヴェールクリエイター」の開発がスタートしたそうですね。具体的にどのような要望がありましたか?
橋爪1号機は花王さんの「est」という高級化粧品ブランドから出したこともあり、本体価格が約55,000円、化粧液も8,800円という高級路線でした。次はより幅広いユーザーに届けたいということで、2020年の6月から2号機の開発がスタートしたかたちです。
花王さんのご要望としていただいたのは、まず小型化。そして、使い勝手の向上です。デザインの方向性自体は花王さんが決められるのですが、コンパクト化するとなると内部の機構や電圧を制御するための部品の形状など、さまざまな技術の検討が必要になります。正直、課題は山積みでしたが、花王さんと何度もやりとりを重ねて一つひとつクリアしながら開発を進めていきました。
化粧液の「にじみ」をなくせ!秘訣はノズルの機構
――課題が山積みだったということですが、まず橋爪さんが担当した機構設計で、特に苦労した点を教えてください。
橋爪機構設計の部分ではまず、花王さんから「機器のキャップをなくしたい」というご相談がありました。1号機ではキャップの内部にあるゴム栓によって内容液の流出を防いでいたのですが、キャップの閉じ方が甘いと化粧液のなかに含まれるエタノールが揮発してしまうという問題があったんです。
そこで、今回新たに開発したのが「シャットオフノズル」という機構。簡単に言うと先端が自動で閉じるノズルのことです。じつは途中で「やっぱりキャップありにしませんか」という逆提案をしたこともあったのですが、封止構造や金型の試作を試行錯誤した結果、最終的には揮発性の高い化粧液をキャップなしで封止することが可能になりました。
橋爪ほかにもさまざまな課題がありましたが、特に苦労したのは噴霧する際に、化粧液の「にじみ」をいかになくすかという点です。にじみとは、噴霧した際に余分な化粧液が噴射口に残ってかたまってしまうこと。そうすると、次に使用するときに狙った場所に化粧液が飛ばなかったり、剤が繊維状にならずに液体のまま飛んでしまったりといった不具合が起こります。この問題をどう解決するかが大きな壁でしたね。
にじみの原因はいくつか考えられました。たとえば、化粧液を噴霧する際に内部で針のような部品が前後するのですが、その部品が出口を塞いで閉じるときに、余分な化粧液まで押し出されて先端に残ってしまうんです。また、ポンプの形状の都合で内部の圧力が高まり、化粧液が漏れやすくなることも解決すべきポイントでした。
――その難題を、どうやって乗り越えたのでしょうか?
橋爪さまざまな工夫がありますが、たとえばノズル内部の部品の細かな調整です。内部の針を細くするのも一苦労で。試行錯誤し、ノズルとして部品を組んだときの精度を担保しつつ、内部の針状の部品を直径2mmから1.5mmに変えることができました。0.5mmの世界ですが、少しでも細くできたことで押し出される化粧液の量が減り、にじみにくくなりました。
それぞれの部品の寸法の精度も非常に重要なのですが、品質を安定させつつ量産するとなると、それはそれで大変で。重要な部品は専門のメーカーに外注したり、量産の工程でも厳格な検査を行なったりしました。不良品率を下げつつ花王さんの求めるクオリティを実現するために、色んなことをやりましたね。
消音・低速回転・軽量化。複数の問題を解決したアイデアとは?
――前田さんが担当した回路設計の部分では、どんな課題がありましたか?
前田まずは、やはり小型化の部分です。肌にピンポイントで噴霧するには高電圧による制御が必要なのですが、パナソニックでは「ナノイー」という、空気中の水分に高電圧をかけることで微粒子イオンを生成する技術を持っていて、高電圧の制御は得意な分野でした。簡単に言うと、内部の回路技術によって1本の乾電池から数千倍もの電圧をつくるようなイメージですね。
前田ヴェールクリエイターの内部にも、化粧液を繊維状に噴霧するために必要な高電圧をつくる部品が組み込まれていますが、製品の小型化を図るためには、その部品をさらに小さくする必要がありました。しかし、その部品を小さくすると、出力できる高電圧レベルを上げられないという課題があり......。
そこで、花王さんに電圧を下げても繊維状に噴霧できる化粧液を開発いただきながら、パナソニックとしても高品質、低コストで、かつ乾電池でも駆動できる低消費電力の小型部品を開発し、最終的に製品の小型化を実現したんです。
また、1号機の「ブラシ付きDCモータ(※)」から今回の2号機ではモータを「ステッピングモータ」に変更しているのですが、これを組み込むための条件設定や、動作の調整などにかなりの時間と労力を要しましたね。
※乾電池などをつなぐだけで回転し、高速回転できることが特徴であるモータ
――そもそも、なぜモータを変えたのでしょうか?
前田当初は1号機と同じ、「ブラシ付きDCモータ」を使う予定でした。しかし今回は先ほどもお話しした「液にじみ」をなくす「逆回転による化粧液の吸い戻し」を実現するために、超低速かつ高精度な制御が求められました。
具体的に言うと1分間に1回転以下という、かなりの低速回転を制御する必要があったんです。従来のモータでそこまで回転数を落とすと「ガラガラ」という大きな音が出てしまい、商品としての品位を保てないことがわかりました。
そうした課題に直面していた頃、剤を噴霧するドライヤーを開発していた部隊がステッピングモータを使っているという情報が入ってきました。ステッピングモータは低速で回転できるモータで、これを使えば音の問題をクリアしつつ、液にじみを含むさまざまな制御にも活用できるのではないかと考えたんです。というか、当時は「もうこれしかない、これに賭けてみようという」という感じでしたね。
――目論見どおり、うまくいきましたか?
前田いえ、やはり課題もありました。最も大きかったのは、このモータを乾電池で動かせるのかという問題。そもそもステッピングモータは、基本的にAC電源で使う商品に搭載されています。それを乾電池2本で動かすというのは、事業部としても前例のないチャレンジでした。自分自身で提案しておきながら、本当にできるのか不安でしたが、実現に向けて一つずつステップを踏んでいきました。
最終的には0.5Wぐらいの電力でも使いこなせるというところまでは見えてきましたが、求められる連続駆動時間をクリアするには1号機の単四電池2本ではどうしても難しく、単三電池に変える必要があったんです。そうなると20gほど重くなり、軽量化という花王さんの要望に反してしまいます。
――たった20gなのに。そこまでシビアな目標が定められていたんですね。
前田厳しかったですね。ただ、最終的にはステッピングモータを使うことで低速ギアなどの部品を減らすことができ、単三電池を使っても、トータルでは軽量化とサイズダウンを実現しました。花王さんにも了承いただき、ホッとしましたね。チャレンジングなことばかりで、開発中は常に、できなかったらどうしようというプレッシャーがありましたから。
そのほかの部分でいうと、制御の部分です。吹きつけボタンを押したときはモータが正回転することで化粧液を押し出すのですが、ボタンを放したときは逆回転するようにしました。これにより、ボタンを離すと同時に内部の圧力が下がっていき、余分に出た化粧液が吸い戻されることが判明しました。
折れそうな心を奮い立たせた「キュレル」への思い
――今回は花王さんとの協業というかたちでしたが、従来の開発では得られない刺激や気づきなどはありましたか?
橋爪そうですね。特にすごいなと思ったのは、花王さんのとことんこだわる姿勢です。良いものをつくるためには絶対に妥協せず、最後までやり抜く。先ほどの「にじみ」に関しても、花王さんが求める基準は本当に高くて、開発中は毎日必死でした。
ただ、そうしたものづくりに対する姿勢はパナソニックと通じるものがありますし、私自身もあらためてしっかりやらないといけないなと思いましたね。
――ただ、最終的に開発期間は3年にも及んだということで、途中で心が折れそうになることもあったのではないかと思います。それでも最後までやり抜くことができた原動力は何だったのでしょうか?
前田たしかに、心が折れそうになったこともあります。ただ、途中からはこの製品に対する特別な思いが、大きなモチベーションになっていました。
開発当初はどのブランドから出すか私たちには共有されていなかったのですが、中盤になって「キュレル」から展開するとわかり、とても驚いたんです。というのも、キュレルは個人的にすごくお世話になったブランドだったから。
私の娘は赤ちゃんの頃から乾燥肌で肌荒れに悩まされていて、長くキュレルのボディソープやボディクリームを使ってきました。そんな身近なブランドから新しい製品を出せるというのは、大きな喜びでしたね。「乾燥性敏感肌の人の役に立ちたい」そんな個人的な思いが、さまざまな難題に挑む原動力になっていました。
橋爪私も前田と同じように、モチベーションを維持するのが困難な時期もありました。ただ、さまざまな課題に対して試行錯誤を重ねるなかで、解決の糸口が見える度に気持ちが奮い立つというか、「まだ頑張れる」という思いが湧いてくるんです。その繰り返しで熱意をキープしつつ、最後は意地でなんとか走り切ることができたという感じです。
花王さんからのメッセージ
――今回、パナソニックへ技術開発の協力を要請した経緯を教えてください。
一緒にファインファイバー1号機の開発に携わるなかで、パナソニックさんの設計へのこだわりや技術力の高さを実感していました。また、花王では知見の少ない、電気製品の安全性への考え方やアフターサービスに関するアドバイスもいただき、当時の開発でも多くを学ばせていただきました。
1号機の発売と同時に新型コロナウイルス感染拡大の影響もあって、対面販売が出来ずに悔しい思いもあったので、リベンジの気持ちで次世代機の相談をしたところ、パナソニックの皆さんから新しいチャレンジへの熱い気持ちのお話しをいただき、私たちもワクワクする気持ちで開発をスタートできました。
――ノズルに組み込まれた新技術について、印象に残っていることを教えてください。
パナソニックのみなさんが、「乾電池で動作する電気機器で、ここまで電子制御している機器は見たことがない」と仰っていたのを良く覚えています。シャットオフノズルの品質担保は技術的にも難易度が高いと予想していたので、開発ではヴェールクリエイターの試作を繰り返して、生産の振れを予め想定して、生産立ち上げの準備を進めていました。
それでも思ったとおりに動作せず、一度組み立てたノズルを分解して、部品をつくり直して組み直す場面すらありました。既に1,000個以上組み終わって、本当に組み直すのか半信半疑でいるタイの現地工場の方々に、橋爪さんがきっぱりと組み直すように指示を出して、率先して分解してくださったので、結果的に時間も部材のロスも最小限に済んでシャットオフノズルの品質も安定しました。
最後まで品質を追求し、妥協せずに完成させられたのは、パナソニックのみなさんのご尽力のおかげです。花王の剤とパナソニックさんの装置技術の融合による新しい商品をまた一緒に開発できればと思っています。
パナソニックでは自社製品だけでなく、他業種との共創というかたちで製品を開発することも珍しくない。とはいえ今回のように3年もの歳月をかけ、要素技術からじっくり検討していくケースは稀だという。結果的には製品の発売まで無事に走り抜けることができたが、開発は苦難の連続。あとから始まったプロジェクトが先に量産をはじめるなど、焦りを覚えることもあったと前田や橋爪は振り返る。それでも、「投げ出すという選択肢はなかった」と語る二人の表情には、技術者としての意地がにじんでいた。
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Profile
橋爪 啓暢(はしづめ・ひろのぶ)
パナソニック株式会社 くらしアプライアンス社 ビューティ・パーソナルケア事業部 ビューティビジネスユニット ビューティ商品部
2018年キャリア入社。前職では冷蔵庫の構造、冷却設計、省エネ開発を中心に設計開発に従事。18年1月よりビューティ商品部に在籍。スチーマーナノケアをはじめ、美顔器の開発を手がけている。
私のMake New|Make New「うるおい」
肌も心もうるおう美容商品を生み出していきたい。
前田 貴史(まえだ・たかし)
パナソニック株式会社 くらしアプライアンス社 ビューティ・パーソナルケア事業部 ビューティビジネスユニット ビューティ商品部
1999年入社。ディスプレイ及びPCの回路設計を中心に設計開発に従事。2017年1月より制御技術部に在籍。リフトケア美顔器のバイタリフト かっさをはじめ、美顔器の開発を手がけている。
私のMake New|Make New「発想」
従来に捉われず、新しい発想でお客さまに喜ばれる商品開発を行なっていきたいと思います。